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2006年10月31日

予感的中

 今日は10月の末日。明日からはもう11月になります。季節が秋から一挙に冬になってしまいそうな予感がしてきました。

 昨日の「予感」・・公正取引委員会がやはり動き出したようですね。ソフトバンクから事情を聞いたというニュースがありました。どうひいきめに見ても、「電話・メールゼロ円」は誇大広告ですから。

 昨日の書きましたが、同じソフトバンクの携帯間は電話も無料! それだけを聞けば、すごいサービスだと思ってしまいますが、「午後9時〜午前1時」は例外で、この間は普通に電話料金がかかります。個人が一番使いたい時間には使えなくて、それ以外の時間にかけてくれ・・ってのは、どうなんですか。これだけで十分インチキの臭いがしてきます。

 他社への番号持ち運び制度が始まりましたが、もしかしたらソフトバンクから他の業者に流れていった数の方が多いかもしれないという話もでています。ソフトバンクが数字を発表していないので、はっきりしたことはまだ分かっていませんが、他社のデータからはそんな推測もあるのだそうです。

 今回の混乱の原因が、ソフトバンクの体制不備によることは明らか。その中でも、コンピューターの処理能力がどの程度だったのか、それをどれくらいまで増強したのかというデータも秘密にしています。これだけ大きな問題を引き起こしてしまったのにかかわらず、その責任を十分に感じていないと批判されてもしかたないことでしょう。

 もしかしたら、そんな数字を発表してしまったら、ソフトバンクの浮き沈みにも関係するような事態がおこりうるのかもしれません。それが怖くて、口をつぐんでいるのかも。

 携帯電話はメールがなくては成り立たない社会になっています。電気、水道などと並ぶほど重要な社会のインフラになっていることを、もっとしっかりと認識してほしいものです。そして、問題の解決や処理は、誠実に行うことが一番。嘘や偽りは、問題をいっそうこじらせてしまうだけです。

投稿者 tsukada : 22:07

2006年10月30日

土砂降り

 昨夜、当地(新潟県上越市)をおそった大雨は、1時間に91ミリという記録的なものでした。この地域での観測史上最高になったとのこと。これまでは60ミリ台だったようですので、一挙に記録を更新しました。

 昨夜の雨では市内のあちこちで道路冠水、そして家屋の被害も出ていました。100棟近くが床上・床下浸水したそうです。大変なことだったんですね。

 昨日はお昼間はとても良いお天気。犬の散歩も1時間ほどしていましたし、近くの河川敷まで自転車を走らせて行ったくらいです。秋とは思えないくらい温かく、気持ちの良い汗をかいていました。

 それが夕方から雲行きが怪しくなり、午後7時前から急に大雨になったのは、昨日の「院長ブログ」に書いた通りです。それで1時間ちょっとでやんでくれたので、これくらいの被害で済んだのでしょう。もっと長時間降り続いていたら、大きな河川も氾濫していたかも。そう考えると、ゾッとします。

 今朝は、そんな騒ぎの跡もはっきりしないほど、お天気が回復し、道路もほとんど乾いていました。同じ上越市でも海の方に数キロいったところでは雨も降らなかったとか。本当に昨日は大雨があったのかと、自分でも疑うほどです。

 “土砂降り”と言えば、携帯電話の契約移動を巡ってソフトバンクが大変なことをしてくれました。「番号ポータビリティ」(どうしてこんなことをわざわざ英語で言わなくてはいけないのか不思議です。「番号移動制度」などと日本語で言えばいいのに。総務省が決めたのかと思いますが、役人の外来語好きには困ったものです)が導入される前日に、料金の大幅割引制度を打ち出したことをきっかけに、大混乱になっています。

 安さを全面に出すのも、一つの戦略でしょうが、やたら大きく「無料」「ゼロ円」と書かれた広告を見ると、詐欺のような気持ちすらしてきます。実際には多くの制限(条件)があり、それらをクリアーして初めて無料になるようなのです。例えば、同じソフトバンクの携帯同士なら通話が無料・・といっても、一番使う夜の時間帯は例外。それらの条件を、ほとんど読めないような小さな文字で書いてあるのは、とても誠意のある商売ではないように思ってしまいます。

 誠意などというと心の問題とされてしまいそうですが、正しいかどうか、誇大ではないかどうか、という検討はなされるべきです。きっと公正取引委員会が関心をもって事態を注視しているのではないのかな、と思っているのですが、どうでしょう。あまり大事にならないうちに、政府が指導すべきでしょう。

 ソフトバンクは、孫社長の強烈な個性によって成り立っているようですが、残念ながら誠実さが言葉や態度から伝わってきません。お金は安くなるのかもしれませんが、大切な「信用」まで安売りしてしまっては、いけません。残念ながら、一度失った信頼は、なかなか取り戻すことはできないのです。目先の商売のために、心は先に売り飛ばしてしまったのでしょうか。

投稿者 tsukada : 23:59

2006年10月29日

今夜の“事件”

 今日夜7時に3つの出来事が!

その1・・今夜は新潟県の「小児救急電話相談事業」の当番日。この事業は土曜・日曜・祝日の午後7時〜10時の間、一般の方からの相談を担当の看護師が受け、必要な時には医師に意見を求めるというシステムにです。今夜は私がその担当。数日前に県庁から届いた携帯電話を前にし、待機することになっています。午後から外出し、夕食をとってから帰宅したのですが、家に着いたのが7時5分前。ガレージに自動車を入れたちょうどその時に、担当の看護師さんから連絡の電話が入りました。ぎりぎりセーフ(^_^;)

 もちろん、別に家にいなくてはいけないわけではありません。携帯での連絡がとれるところにいればいいわけですが、外出中ではうまく電話にでれないと迷惑をかけてしまいます。自動車の運転中というのも、まずいですよね。

 余裕をもって家に帰っていようと思っていたのに、結局滑り込みになってしまいました。これが第1の出来事。

その2・・帰ってくる自動車の中で、少し雨が降り始めたのですが、家に着くなり豪雨に! 雷とともにものすごい降り方の雨。バケツをひっくりかえしたような、という表現がピッタリ。時折大きな音がしていたので、ヒョウかアラレも降っていたかもしれません。あんまり凄いので家の前に出てみたら、歩道が冠水していました。小さな側溝があるのですが、雨水を流しきれずにあふれていたのです。

 2時間ほどで雷も雨もやみましたが、こんな降り方はあまり記憶にありません。その後地元のケーブルTVで知ったのですが、1時間あたり85ミリもの大雨だったのだそうです。市内のあちこちで道路冠水と床下浸水があったとも伝えていました。いやはや、大変な出来事でした。

その3・・先日の「つま恋」コンサートの模様を今日NHKで放送されることになっていました。録画していたはずなのですが、それが「録画不可」になっていて、うまくできていませんでした。それに気づいて、別な方法に切り替え、途中から録画できましたが、これもちょっとビックリした出来事でした。

 使っているのがハードディスクのレコーダーで、デジタル録画できます。それをDVDに移せば、同じデジタルですから画質の劣化はおきず、放送局としては困るということなのでしょう。そのためにスクランブルをかけていたのだと思います。

 そんなことをすることもあるのだということは知っていましたが、それが今日の番組だとは。新聞のテレビ欄にもありませんし、録画予約した時にもそんなメッセージは出てきませんでした。できないならできないと明示してほしいですね。

 といっても、いろんな技術ややり方があるもので、結局録画できたので、あとでゆっくりと楽しみたいと思います。ちなみにこのコンサートのことはみなさん、ご存じですよね。吉田拓郎とかぐや姫が、1975年に行った「朝までコンサート」を31年ぶりに復活させたもの。当時青年だった出演者も観客も、もうおじさん・おばさんになって戻ってきました。あの時の熱狂が再燃してはいたのですが、朝までというのは無理で、「終電まで」になっていました。

 私も同じような世代なので、その当時のアーティストが元気でまだ活躍しているのは、とても嬉しいですね。若い人たちには。ただの懐古趣味とか同窓会とか言われそうですが、それはそれでいいものです。まだまだ元気だぞ! これからますます歳をとっていくけど、最後まで頑張ろう!・・そんな感じです。

 今からまた30年後に、再々コンサートを!ってのは、やっぱり無理でしょうね。みんな平均寿命以上になってしまっています。杖をつきながら、補聴器ごしに聞くってのもいいかもしれませんが、介護者の方が多くなるかも。もしかしたら天国でコンサートを開くころになっているのかもしれません。天使たちも、団塊の世代を受け入れて、きっと大賑わいをしていることでしょう。

投稿者 tsukada : 23:29

2006年10月27日

院長ブログ500本!

 昨日はこのHPトップページへのアクセスが40万を超えたとお伝えしました。今日はもう一つ区切りになることがあります。それはこの「院長ブログ」が、今日で500本になったことです。

 といっても、読者の皆さんにはとくに関係のないことですよね。何本目かは管理上の情報で見て私だけが分かっていることですし。

 いつもお付き合いいただいている方に感謝の気持ちを込めて、ちょっとすてきな写真をご覧いただこうと思いました。先日行われた当院職員の結婚式での一シーンです。チャペルでの挙式のあと、みんなで風船を空に飛ばしてお祝いをいました。

20061027

 右上に見える赤と青の風船は新郎新婦の放したもの。澄み切った大空に高く舞い上がっていきました。

 ちなみに、私は披露宴でギターを弾きながら歌わせてもらいましたが、その中の一曲は松山千春の「大空と大地の中で」でした。この写真のような大空を歌いきることはできませんでしたが・・。

投稿者 tsukada : 18:09

2006年10月26日

成績偽装

 昨日の「院長ブログ」で触れましたが、高校の履修不足問題はまたたく間に全国に広がりました。いくつかの高校が「ズル」をしていたといった単発的な問題ではありません。数年前から、日本中のあちこちで同じことをしていました。そこには構造的な問題があると考えるべきです。

 教育委員会や文部科学省の指導監督の不十分さがあげられます。報告であがってきたものを、書類上のチェックだけの形式的に見ているだけだったのではないでしょうか。「教育は現場でおきている」・・子どもたちが教室でどんなふうに学んでいるか、どんな様子をしているかを丁寧に見ることなど、なかったのでしょう。

 先日来問題になっている「いじめ」や「自殺」の問題も同じです。子どもたちと実際に関わる中でしか見えてこないものはたくさんあることでしょう。そして、そこにこそ、とても重要な教育の課題があることでしょう。

 文部科学省が作っている「教育要綱」の中身はどうなんでしょう。「世界史」を必須教科とし、「日本史」と「地理」はその一方だけを選択すればいいというシステムもきちんと検証されているのでしょうか。これからの国際化社会で生きていくために、「世界の中で通用する若者を作ろう」という理念(?)は分からなくはありませんが、それが「世界史必須」にどうつながるのか。物事を短絡化していませんか?

 最近の議論では、小学校で英語を必修にしようとしているのだとか。言葉としての英語を話せたりするだけであれば、早いにこしたことはないのかもしれません。でも、日本語をきちんと理解して話したり、書いたりすることができない段階で、英語を教えることに、実際の意味はどれくらいあるのでしょう。それよりも、もっと自分の言葉で、自分の意見や感想を話すことができるような能力を養うこともが、「生きる」という意味ではもっともっと大切なことだと思うのですが。

 ただ先生の話を聞いているだけの授業、ただ国も決めたカリキュラムにのっとって、教科書を逐一学んでいくだけの授業では、自主性は育っていくことは望めないでしょう。疑問に思ったことや、自分なりに考えたことを伝えようとしても、授業のじゃまになるからと取り合ってもらえなかったり、しまいには「授業の妨害者」と見なされることもあるような教育システムなのですから。

 社会科については、個人的には「現代史」を新たに作って、それを必須にすべきだと思っています。歴史の授業というと、大昔の話から始まり、次第に現代になっていきます。人類や日本の初期のことを知ることが不要だとはいいませんが、それよりも近年の歴史の方がより今の私たちに重要なのではないかと思うのです。日本史でいえば昭和以降でしょうか。あるいは20世紀以降で、第一次世界大戦の前あたりから始まるのはどうでしょう。そこから始めることで、現代の社会の成り立ちを知ることができるし、これからの方向も見えてくるように思うのです。

 もちろん今の教科でも、最終的にはそこまで行くことになっているのですが、実際には戦後くらいになると、もう時間切れ間近になっていることも多いですよね。一番今の私たちに直接関係のある現代史をきちんと学んでいる高校生は、あまりいないのではないかと思っています。

 そして、現場の高校の対応もめちゃくちゃです。生徒のことを思って・・などという発言が今日も続きましたが、そんな言い訳はもう聞きたくないです。今回の問題は現場で裁量できる範囲を大きく逸脱してます。そして、嘘の報告をしたり、成績表や内申書を作成していた行為は「公文書偽造」にあたるのではないですか? それって、立派な犯罪行為でしょ。なんで教師たちが平気でできちゃうのか、不思議で仕方ありません。

 もしかしたら、今回の未履修教科の成績以外でも、点数の水増しとか付け替えなど、当たり前のようにやっているのでは? そんな疑問すらもってしまいます。そうなると、高校が作っている成績関係の書類は、全く信用するにあたらない、などという結果になりかねません。それは自分で自分の首を絞めるです。信頼関係を自ら破壊していることです。

 生徒たちに嘘をつくこと、ズルをしてもいいんだということを教えていたことにもなります。そんな程度の教育者だったんですね。そんな程度の教育しか、日本では提供できていなかったんですね。残念としかいいようがありません。

 同じ社会科の中に「倫理」があります。哲学や宗教など、心の問題も扱っていますが、それはただ紙に書かれた知識を生徒に伝えてるだけなのですか? 社会科教師が「人としての生き方はこうあるべし」などと教えながら、一方では偽装工作をしている・・。生徒に何を教えたいのですか? 生きた知識にはならないんですね。それとも、受験に必要ないからといって、「倫理」を教えることを最初から放棄してしまっているのかもしれません。

 今回の事件の根本には、日本の教育だけではなく、日本人としての生き方や考え方が大きく横たわっています。とりあえず受験生の中で卒業できないかもしれないという問題は最優先で対応しなくてはいけませんが、それだけ終わりにすることなく、教育のあり方、日本の社会の問題などについても、きちんと考えていく必要があると思っています。

 ・・もっとも、日本人がそういったものの見方や考え方がきちんとできるようなら、今回のようなことが全国でおきてくるなんてことはなかったはずです。それができないのが日本人。悲しい気持ちになってしまいます。

【追伸】このHPに設置してあるカウンターが、今日400,000を超えました。トップのページへのアクセスをカウントしていますので、実際のご利用ももっと多いのですが、この数字を見ると、多くの方にお越しいただいていることを実感します。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 tsukada : 23:18

2006年10月25日

受験生に試練

 富山県の高校で明らかになった「履修漏れ」には本当にビックリしています。今の3年生全員が、社会科の中の世界史など1科目を履修しておらず、このまで卒業できないという事態になっているということです。

 「指導要綱」では高校2年で世界史を必修、日本史と地理のうちのどちらか1つを選択とし、2つを履修するように求めています。受験に直接関係ないなどの理由で、1科目だけを勉強していたということですが、教育委員会に対しては、2科目を履修したように「偽装」していたということです。

 今日のニュースでは、同様のことが岩手県内のいくつかも高校でも行われていることが発覚。もしかしたら同じようなことが、ほかの高校でも行われていた(行われている)可能性があります。

 生徒さんたちは大変なことになっています。大学受験の追い込みのこの時期に、社会科のうちの一つを集中して勉強しなくてはいけないのですから。センター試験までもう3か月を切っています。50分の授業を70回受ける必要があるのだとか。生徒たちの気持ちは暗澹たるものがあることでしょう。

 学校側は「生徒から要望があったから」などと言っていました。冗談は止めて下さい。生徒が要望があれば、何でもするのですか? まるで生徒たちがいけないような言い方をするのは、自分の責任逃れでしょう。卑怯ですよ。

 「日本史や地理の中には世界史の内容が含まれるから」というのも、「理由」にあげていました。社会科という大きな単位の中での教科ですから、そんなことは当然です。極端に言えば、英語の授業でも国語の勉強になる部分もあるでしょう。数学や物理などの授業を受けるのは、国語の論説文の勉強にもなっています。教科が違っているから別々の勉強だということではないのは、当たり前のこと。それでも勉強の中身が細分化され、教科があるのは、それらがある程度独立していて、学問の体系として確立しているからであり、それぞれを別個に勉強することが意味あるからです。

 もし本当にそう思うのであれば、現場の教師として、文部科学省に対して教科の教え方を再編成するよう、きちんと提案すべきでしょう。プロとして教壇に立ち、生徒に学問を教えているのであれば、そこまでするのが責任ある態度ではないですか?

 教育委員会に対しては虚偽を報告をしています。1科目だけの履修では十分ではないことを知っているからです。富山の例では、こういった変則的な方法は昨年度だけで中止し、今年度は2科目を履修させているとのこと。つまり、この方法が問題があることを認識したからこそ、変更したわけです。

 であれば、どうしてその段階で(つまり今年の4月)対応を取らなかったのでしょう。起こしてしまった間違いは、時間をさかのぼって直すことはできません。でも、早く対処することで、そのあとのダメージを少なくすることはできました。受験のわずか数か月前になってやっと対応を始めるのは、遅すぎます。

 きっとその段階で教師たちの間でいろんな議論があったのかと思います。でも、最終的に学校がとった選択は「問題解決の先延ばし」でした。その犠牲になるのは、生徒たちです。

 学校の先生は、子どもたちにとってある意味での「規範」です。教師たちの行動を見ながら、それを自分のものに取り入れていこうとします。こんな問題がおきた時に、その場でなしうる最大の努力で最良の選択をしていたら、生徒たちはそれから学ぶものも多かったことでしょう。

 生徒たちには、教師たちの姿がどんなふうに見えたのでしょうか。時には反面教師も必要なのかもしれません。「あんなふうにだけはしたくない」なんて思われていたら、寂しいですね。教師たちには、できれば「良きモデル」となってほしいかったです。

 それにしても生徒さんたちの気持ちを考えると、憤りを覚えます。私自身も、私の子どもたちも大学受験の経験があり、この時期がいかに大切か、良く分かりますから。かける言葉もあまり思いつきません。ありきたりで申し訳ないのですが、受験生たちには「負けないで、頑張って!」と声援を送りたいと思います。

投稿者 tsukada : 19:10

2006年10月24日

中越地震から2年

 新潟中越地震のことは、もう忘れてしまった方もおられるかもしれませんね。2004年(平成16年)10月23日夕方、その地震はおきました。昨日でまる2年がたったところです。

 当院のある上越市からわずか数十キロのところでおきた大地震です。当地でもそうとう揺れました。私は仕事を終えて家に帰る途中で、自動車の運転中。最初の揺れではハンドルをとられて変に揺れるので、タイヤのパンクかと思ったくらいです。少ししてラジオから地震だというニュースが流れ、それがすぐ近くで起きた大地震だとしりました。

 自宅に帰ると、家族の者たちが怖がっていました。そこに2度目と3度目の大きな揺れがきて、私自身も怖い思いをしました。幸いなことに、自宅も医院も被害はありませんでしたし、停電などもおきずにすみました。

 しかしその時、震源地である中越地方は壊滅的な被害がおきていました。犠牲者も多く出ましたし、故郷が破壊され、生活する場所もなくなってしまった人たちが大勢出ました。日に日に被害の大きさを知るにつれ、大地震の怖さを知ることになりました。

 あれから2年。表面的には復興してきているようですが、まだ元の生活に戻れないでいる人たちもたくさんおられるようです。村や道路、田や畑も壊れたままのところも、そうとうあるようです。その影響は、今でも被災地に色濃く残っているのだとか。

 私の友人で、この地域の小学校校長をしている者がいます。先日会ったときに、やはり震災のことはまだ過去のことではない、という話をしていました。同じ小学校の同級生が地震で亡くなっていたり、きょうだいの一方が犠牲者だったりもしていることもあったりいて、今でもPTSD(心的外傷症候群)のような症状が出る子もいるのだとか。

 それでも、住民の人たちがまとまって地域をもり立てようとする力には敬服すると言っていました。お互いを助け合いながら、大変な中を生きてきたわけです。地域を愛する気持ち、そしてお互いを思いやる気持ちは、以前よりもっと強くなったというのが、私の友人の率直な感想でした。

 被災直後から住民の中で愛され、歌われた曲がありました。平原綾香の『Jupiter』です。その中にこんな一節があります・・「愛を学ぶために孤独があるなら、意味のないことなどおこりはしない」

 自分に降りかかってきた災いではあるけれど、それを嘆いているだけでは始まらない。もしかしたら、それも天が与えた試練かも。それを乗り越えることで、もっと強くなれるし、本当の優しさも知ることができる・・。

 この歌が愛された本当の理由はよく分かりません。もしかしたら、こんな意味合いがあって多くの人の心を打ったのではないか、などとも思っているのですが、どうなのでしょうか。

投稿者 tsukada : 23:25

2006年10月23日

日本の縮図?

 昨日の「院長ブログ」に書いたことを、自分で気にしています。ちょっと言い過ぎてしまったかな、と。

 そこでもう一度考えてみたのですが、やっぱりヘンですよ。件(くだん)の職員が職員宿舎の管理人をしていた3年間、ほかの人たちの光熱費などをまるまる持ち出ししていたという点です。

 彼より早くからそこに住んでいた人たちもいたでしょう。その人たちは、彼が管理人になる前はちょんと電気代・水道代・町内会費を毎月払っていたでしょうね。まさか、この宿舎では「管理人になった人がみんなの分も負担する」なんて決まりがあったわけではないでしょう。突然支払いをしなくなったら、そこで気づきませんか? 何ヶ月かはそのままになっていても分からないかもしれませんが、でもずーと3年間も気にならないほうが、おかしなことです。常識的ではありません。

 もしかしたら自分のところだけ集金漏れしているのかな? 他の人が二重に払っていたら、申し訳ないこと。「常識的な人」だったら、そんなふうに考えることでしょう。隣の人や同僚に、「そちらではどうなっていますか?」などという会話も出てきていなかったのでしょうか?

 良心的に(?)考えて、ぼんやりしていたのかもしれません。でも、他の宿舎へ引っ越したあと、そこではきっとちゃんと納めているはずですよね。その時に、そういえば前の宿舎では払っていたかったようだ。どうしてそうなってたんだろう、そんなふうに思うことも、なかったのでしょうか。

 彼が管理人になったあとに引っ越してきた人たちもいるはずですよね。他では払っていたものが、ここでは払わなくていい、なんてことはありえません。入居の段階で、これらの費用の徴収方法について説明があったでしょう、ここでは管理人を通して払うのだと。それなのになかなか集めに来ないとなると、やきもきしませんか? 毎月払っていれば大きな金額ではないのに、数か月もたまってしまえば、集金に来てもその場ですぐに渡せるような額ではなくなってしまうのですから。

 払うべき金を払わないですんでいるのだから、こんないいことはない。黙っていれば、そのまま過ぎ去るかも。しめた! 寝た子を起こすな。黙っていればいいだけのこと。儲けもの。・・そんな狡(ずる)い気持ちになっていたのでしょうか。そうだとしたら、寂しい現実です。

 もしかしたら郵便局の側の説明が間違っているのかもしれません。あるいは、もっと何か重大なことがあり、それを隠しているのかも。そうだとしたら、それはいったい何? それもまた理解不能です。

 ここで起きたことは、小さな出来事(事件)だったのかもしれません。でも、考えなくてはいけない内容は、とても大きくて、深い根を持っているような気がします。

投稿者 tsukada : 20:00

2006年10月22日

生活に困った理由とは

 先日、当地の郵便局でお客さんから預かったお金を横領したということで職員が懲戒免職になりました。その額は20万円ほどですし、ローカルな話なので、新潟県内でニュースになっただけでしょう(私の家から歩いて数分のところにある郵便局なので、個人的にはニュース性が高いのですが)。

 世の中、数千万とか億の単位での横領が銀行などではおきていますので、けっして多い額ではありません(もちろん、少ないから許されるわけでもありませんが)。こういった事件は、ギャンブルや先物取引にはまってしまったために起きてしまうことが多いようです。

 でも、この職員は「生活に困った」というのが動機とのこと。なんとも小さな話です。安定した身分で、そこそこの給料はもらえているわけですから、まじめに働いていれば、それくらいのお金は何とかなるのだとおもうのですが。彼は職も、収入も、退職金もすべてを失うことになったわけですから、邪悪な考えは持つものではありません。

 ふつうはこれで話が終わるのですが、実はこの先が問題です。生活に困った理由がヘンなのです。3年ほど前から、郵便局の宿舎(アパート)の管理をしているのだそうですが、そのアパートの全世帯の水道代、電気代、町内会費を全部自分で負担していたのだというのです。その額がトータルで280万円ほど。

 本来は一軒ずつ回ってそれらを徴収しなくてはいけないのだければ、それが面倒で、自分の財布の中から出していたのだというのです。にわかには信じられない事実です。

 それが本当だとしたら、問題にすべきは彼の個人的な性格や行動ではなく、宿舎の他の人たちや宿舎の管理に責任を持つ人たちでしょう。数年間も電気代などをおさめていなかったわけです。それに気づかないということは、考えにくいですよね。知っていたけれど、そのままにしておいた・・。それが真相なのでしょうか。

 問題になった郵便局の責任者が会見の中で言っていました。彼は内気な性格で、人に会うのが苦手なのだと。同じアパートの住人にあってお金をもらってくるのもイヤで、それをするなら自分のポケットマネーから出した方がいいと思ったのかもしれない、とも。

 ずいぶんな見方ですね。アパートは郵便局の人たちが入っているので、同僚です。顔見知りの人たちに会って話ができないのなら、郵便局の窓口で接客するのは、もっとつらくて苦しい毎日を送っていたことでしょう。それを気づいてあげられなかったとしてら、同じ職場の同僚や上司の人たちは、いったい彼のことをどんなふうに思って一緒に仕事をしていたのでしょうか。よく理解できません。

 彼がお客さんから預かったお金に手を出したから発覚しましたが、そうでなければずっとそのままになっていたのでしょうか。彼が犯罪を犯す前に、誰かが気づき、声を出し、問題を解決することができなかったのでしょうか。そこに、人として生きていく大切なものがあるように思うのですが。

 この事件、私のすぐ近くでおきたということもありますが、気になって仕方ありません。今の日本は、一人ひとりにモラルを求めるのは、もう無理な社会なのでしょうか。まだまだ、信じていたいのですが・・、

投稿者 tsukada : 21:06

2006年10月20日

インフルエンザ予防接種開始

 今日から当院でもインフルエンザ予防接種を始めました。さっそく今日は数十人の子どもたちと親御さんへ接種をしたところです。

 インフルエンザは冬に必ず流行する感染症です。A香港型、Aソ連型、B型の3つが、ほとんど毎年出現しています。ときに例外もありますが、おおむね1月中旬から始まり、2月上旬が最高に達し、その後少なくなり、早めれば2月中、遅いと3月に終息するというのが例年のパターンです。

 当院での流行の状況を過去7年間にわたって見てみましたが、流行していない年は1回だけ(2001年)。はっきりした流行のあった年では、だいたいは1月中旬から始まるパターンでした。昨年はやや例外で、1月はほとんど発生がなく、2月に入って急に流行が始まり、3月まで続きました。

20061020

 多少の違いはありますが、インフルエンザの流行はまずやってきます。それがないと考える方が例外的なことです。そうであれば、それを迎え撃つ対策を真剣に考えておかないといけないですね。それが、例えば家族を守る危機管理対策です。

 今日から始まったインフルエンザ予防接種が、十分な効果をもたらし、一人ひとりの方がインフルエンザにかかりくにになり、できれば流行もさほどひどくならないですむことを祈っています。

投稿者 tsukada : 22:44

2006年10月19日

猛練習中!?

 当院の職員が次の日曜日、結婚式をすることになっています。おめでたいことです。その披露宴に私も呼ばれ、祝辞を述べることになっています。

 医療機関というのは女性の多い職場。看護師さんをはじめとして医療事務さんなど、ほとんどが女性が大半だといってもいいでしょう。当院もそうで、私ともう一人男性がいますが、あとは全部女性。

 わりと若い人たちが多いのも特徴で、勤務している途中で結婚することもよくあります。院長という立場から、結婚披露宴に呼ばれることも多くなるのですが、新婦の雇用主ということで上座にすわらせてもらっています。

 そして祝辞も頼まれるのが通例。話すことはそれほど苦ではないのですが、まだ乾杯する前ですから、けっこうみんなまじめに聞いています(当たり前ですが)ので、緊張します。といって、原稿を作っていくタイプの私ではないので、けっこうぶっつけ本番でやってしまいます。心臓が小さいくせに無理するので、心臓はバクバク、冷や汗タラタラです。

 それでも、新婦が多い職場で良かったとも思っています。もし新郎の側だったら、仲人を頼まれてしまうかも。ひな壇にいっしょに並んで、決してぶっつけ本番ではいけない新郎新婦の紹介もしなくてはいけません。披露宴の前に結婚式もありますし、それまでに結納とかいろいろとあることでしょう。新しいカップルを仲立ちする役は、とてもできそうにありません。そんな仲人を頼まれないですんでいることだけでも、私にとってはラッキーです。

 でも、今回は披露宴で余興を頼まれています。新郎新婦をお祝いし、みなさんに楽しんでもらえるような芸はとくに持ち合わせていません。小児科医ですから、病気のことを話したりするのはいくらでもできますが、まさか講演会やら講義をするわけにもいきません。

 仕方なく、昔やっていたギターを引っ張り出してきました。弾くのは久しぶりです。私の好きな曲を弾き語りで歌って、お茶を濁そうかと思っています。私の好きな曲・・と言えば松山千春になってしまいますが、彼の曲は別れがテーマになっているものが多く、選曲に困っています。無難な曲もあるのですが、でも私の歌いたい曲も入れたいし。まあ、失礼のないように(石を投げられることのないように)曲を選ぶことにしましょう。

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 でも、千春ばかりでは面白くない。いつもの院長から多少脱出もしてみたい。そんな気持ちから、今回は違う人の歌も入れてみようと思っています。けっこう冒険かも。

 今は、お蔵入りしていたギターを引っ張り出してきて、弾いているところです。大勢の方に聞いていただくのですし、何よりも晴れやかな、そして新郎新婦にとって一回限りのとても大切な披露宴なのですから、ちゃんと練習をしておかないといけないのですが、なかなか指が動いてくれません。あと数日なのに、心配になってきました。

 当日は、お酒の勢いを借りて、ぶっつけ本番でやっちゃうかもしれません。お聞き苦しいようでしたら、ご容赦下さい。

投稿者 tsukada : 23:59

2006年10月18日

講義は無事終了

 今日は午後から講義をしてきました。一昨日の「院長ブログ」で、その内容は紹介してあるので、詳しくは省略します。

20061018.jpg

 いつものことなのですが、終わったあとに「やっと終わった!」という実感がありますが、それだけではありません。「このことに触れるのを忘れていた」「ここをもう少し詳しく話せば良かった」「あのところは言い方が悪くて良く理解してもらえなかっただろうな」「別な資料も作ってくれば良かった」・・などなど、後悔することがたくさんあります。

 ちゃんと「反省」して、次に生かせばいいのですが、それがなかなかできないのがいつものこと。もう済んだことなので、あんまり考えたくない、というのが正直なところです。

 タレントのタモリさんが面白いことを言っていました。「笑っていいとも!」の司会を長期間(ギネスブックに世界記録として認定されています)続けられるこつを聞かれて、「反省しないこと」と答えていました。毎日いろんなことがあって、うまくいかないこともあるだろうけれど、いちいちそれを気にしていたら続けられない、と。

 彼のような超有名で、才能のある人にとっては、その一瞬一瞬で芸をし、それがけっこういつも面白く、一般の人たちに受けることができるのでしょう。だから、「反省はしない」と言ってしまえても平気なのでしょうね。

 一般の人にとっては、本当はちゃんと反省をし、次はもっとレベルアップをはかっていくべきなのでしょう。でも、やっぱりそんなふうにはできません。もう忘れてしまいたい、なんて気持ちにもなってしまうものですから。

 今日の“反省”は水に流してしまいましょうか、それともアルコールで清めるとしましょうか(^_^;)

投稿者 tsukada : 17:48

2006年10月17日

生きづらい社会

 お昼のTV番組「笑っていいとも!」の「育つかな?」。もうおなじみになった明橋大二先生が3回目の出演です。今日のお題は「テレビゲームを長い時間している子どもにどう声をかけるか?」といった内容でした。例によってタレントさんたちが、笑いをとるということもあるのでしょうが、好きずきにいろんなことをしていました。

 先生の“正解”は、「子どもにする時間を決めさせる」ということ。親が頭ごなしに言うのでは子どもは反発するだろうし、聞いていないかもしれない。自分で決めることで、責任をもって行動するようになる、と。

 そうなんですよね。子どもなりの理屈があったり、自分で決めて行動したいもの。家庭では親が一方的に決めてしまうこともありますし、学校などでも“先生”と呼ばれる大人たちが、大人のルールで子どもを動かそうとするから、ますます空回りしていることもおおいかもしれません。反発してぶつかればいいのでしょうが、圧力が強すぎると子どもは黙ってしまうことでしょう。そして、それがいつか爆発することもあります。

 ここ数日、学校で子どもがいじめを苦に自殺するという出来事がニュースになっています。その中に、担任の教師からいじめをうけていたり、教師の配慮のはい発言や行動がきっかけになって、同級生からのいじめに発展した例もあるようです。許し難いことです。

 ここの校長は、「もしそんなことがあれば教師に反発してほしい」などと言ったとか。それができるようなら、とっくにしています。できないから、追い詰められ、自殺せざるをえない状況の追いやられたのだと思います。

 聞きようによっては「反発しない生徒が悪い」とも聞こえます。少なくとも、問題を起こした教師集団の責任者が、子どもたちに向かって話す言葉ではないでしょう。まずするべきことは、子どもたちの心を平気で踏みにじる教師を辞めさせることでしょうし、今後同じようなことが繰り返されないよう、しっかりと対策をとることでしょう。

 といっても、それがすぐうまくいかないというのは、当の校長先生だからよけいに良く分かっているのかもしれません。だから、これからも教師からのいじめや嫌がらせがあるはずだから、生徒の方がしっかりしてほしいと、本音を話してしまったのかも。

 でも、今の学校教育では、子どもたちが教師に反発することをどれくらい歓迎してもらえるのでしょうか。教師の指示にしたがい、生徒たちが一斉に同じ行動をしていることが、教師たちが何よりも求めていることなのではないですか?

 学校だけではなく、日本の社会全体がそんな「集団主義」に染まっているように思います。みんなと同じように考え、行動することが一番美しいと。一人ひとりの考え方も、みんなと同じでいることに安心を覚え、そこからはずれることを極端に嫌います。

 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。そこには個人の考えや、主体性はありません。一人ひとりが物事をしっかりと考え、ダメなものはダメ、良いと思うこと(必要と思うこと)はみんながやっていなくてもする。そんなふうにしていきたいと願う人にとっては、生きづらい社会なんだろうな、と思うことがよくあります。

 今日の明橋先生の話を聞きながら、実際に学校や社会の中でおきていることの落差を、改めて感じさせられました。お昼のバラエティ番組も、なかなかためになるものですね。

投稿者 tsukada : 23:33

2006年10月16日

講義の準備はできました

 今週の水曜日は講義をすることになっています。保健所主催で、保育施設の職員に感染症予防の話をしてほしいと依頼されています。

 これから冬場に向かうと、インフルエンザや感染性胃腸炎(病原性大腸菌、ノロウイルスなど)がどうしても流行してしまいます。それを完全に防ぐのはなかなか難しいですが、必要な対策をきちんと実施していればある程度は防いだり、規模を小さくしたりすることができるでしょう。

 そのためにまず必要なものは「知識」です。“敵”の正体をきちんと知っておく必要があります。それがなければ、「消毒しなさい」「清潔にしましょう」などと言っていても、きちんと実行されることはないでしょう。初めはできていても、長続きしないかもしれません。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。そうならないためには、「どうしてそれが必要なのか」という根本をしっかり押させておいていただく必要があります。

 保育園や幼稚園は、基本的には健康な子どもたちの通う施設です。医療機関ではないため、スタッフに医療関係者は普通はいません(看護師さんをおく保育園もあるそうですが)。幼児はしょっちゅういろんな病気になりますので、時々は園児の病気を見ることもあるでしょうが、でもそれほど多いものでもありませんし、きちんとした病気についての知識を得る機会はあまりないことでしょう。

 そんな保育士さんなどに、流行しやすい感染症などのことを良く知ってもらい、対処の仕方などについても理解を深めてもらう、とても良い機会を作ってもらいました。今回は単発の企画のようですが、これから継続して勉強していける環境が整うといいですね。

 私に与えられた時間は50分。さあ、何を話しましょう・・。そんなことをここ1週間ほど考えていました。例によって資料やスライドを作りながら、その内容を煮詰めてきたのですが、あれも話したい、これも触れておきたい、などと考えてしまい、ふくれる一方です。

 スライドの枚数は40枚。中には表題だけのものもありますが、表や図などは解説するだけでそうとう時間がかかります。平均で1枚あたり1分ほどですので、そうとうのスピードで飛ばしていかないと、時間が足りなくなりそうです。

 年に一度看護大学の講義をしていますが、その時とだいたい同じくらいのペースです。保育の現場でお仕事をされている方には、ちょっと大変かも。

 いや、すでに子どもたちと関わる中で、いろんな事例にあたって、多くの問題意識をもっているかも。そして、大学生よりももっと積極的に講義に臨んでくれるかもしれません(何しろ、勤務時間中に給料をもらいながら勉強にくるのですから)。

 明後日の講義がどうなりますやら。とにかく50分間しゃべり続けます! 受講される方がこのブログを見ておられたら、お付き合いのほど、どうぞよろしく。

投稿者 tsukada : 23:37

2006年10月15日

上越新幹線は上越市を通っていませんよ

 とても良いお天気の日曜日でした。こんな日が続くのも、あとどれくらいでしょう。山では紅葉が始まっていますし、近くの木々も少しずつ葉を落とし始めました。冬はこの温かさの向こうで、しっかりと準備をしているのでしょうね。

 お昼頃、遠くから「ポー」という音が聞こえてきました。医院のある直江津は港町ですから、時折船の汽笛が響いてきます。でも今日聞こえてきたのは、それよりも高い音。そう、蒸気機関車の警笛の音です。

 昨日と今日、この地域でSLが走っていることを新聞で知りました。信越本線が開通して120年になるのを記念してのイベントだそうです。

 信越本線は、上野から始まって埼玉県、群馬県、長野県を通って新潟県に入り、県内を日本海に沿って北上し、新潟市まで続きます。「信州」と「越後」を結ぶから「信越線」と名付けられました。以前は重要な交通路。でも今は元気がなくなっていますね。まだ単線のままですし。

 大昔は新潟市に行くには信越本線を経由するルートしかありませんでした。その後群馬県の高崎と新潟県の長野を結ぶ「上越線」が出来たことによって、そちらの方がメインになり、もうここ上越市(旧高田市と直江津市)を通る必要はなくなりました。

 ここで新潟県に関係のない方は混乱をしているのではないかと思います。上越市は信越線は走っているけれど、上越線はない!? そうなんです。同じような名前なのですが、上越線は上越市は通っていないのです(上越新幹線も同じ)。

 名前の由来が違います。「上越市」は越後の3つに分けて、京に近い方から「上越」「中越(長岡市周辺)」「下越(新潟市周辺)」に分けたことから来ています。その名残なのでしょうか、テレビの天気予報で県内を紹介するとき、県庁所在地である下越が先ではなく、人口が少なく、県都から離れている上越から始めるところがあります。事情を知らない人が聞いたら、ヘンな県だと思うでしょうね。

 一方の「上越線」は、上州(群馬県)と越後(新潟県)を結ぶことから作られた造語です。でも、世間一般ではこちらの「上越」の方が有名になりましたね。その後同じルートで作れた「上越新幹線」にもその名前を使っているからなおさらです。

 実は今、ここ上越市では困ったことが起きています。現在ある「長野新幹線」は、さらに延長して上越市を通って北陸を進み、金沢まで進展させようと工事中です。新幹線の名前は「北陸新幹線」に変更されるようですが、ここ上越市にできる駅名をそのまま「上越駅」にして良いのかどうか。

 「上越駅」が上越新幹線ではなくて北陸新幹線にある・・ますます混乱してしまいそうです。実は以前から市の名前は議論がありました。すでに上越線が存在していたのですから、今日の混乱は予想できたことです。名前はあとで何とかなるからと、ちゃんとした議論を先延ばししたツケが今まわってきているようです。でも合併してから20年以上もたって、名前を変更するのはもう無理でしょう。

 そこで上越市が考えた妙案は・・「上越新幹線」の名称変更です。新潟市が終着駅だから「新潟新幹線」にしてはどうかと。それを一緒に提案しようと、上越市長が新潟市長のところに行ったとか行かなかったとか。それも、新幹線ができるときに提案していれば良かったのに。先の読めない人たちが政治や行政を担っているんだな、ってつくづく思います。

投稿者 tsukada : 23:51

2006年10月14日

100キロマラソン完走!!

 ここ上越市では今日「くびきの100キロマラソン」が行われました。2年に一度行われるこの大会は、途中に山間部を走るので、アップダウンがきつく、何コースとして知られているようです。今回も全国から千数百人が参加したのだとか。

 その大会に、当院の職員が2名参加し、二人とも時間内に完走しました。女性がほとんどの職場ですので、この二人はもちろん女性。すごいことです。

 早朝のまだ夜が明けないうちにスタートし、そこから半日ほど走り続けたというわけです。距離だけでもフルマラソンの2倍以上あります。山あり谷ありのコースですから、その困難さは想像を絶します。

 走っている様子を思い浮かべると、もっと頑張らなくっちゃって気持ちにもさせられます。体力づくりはもちろんのこと、一つのことに集中して取り組む姿勢にも、考えさせられるものがあります。

 とりあえず、今日一日お疲れさまでした! 彼女たちの努力と勇気をたたえて、何か良いものをプレゼントすることにしましょう。

投稿者 tsukada : 23:47

2006年10月13日

カラー印刷機をめぐる新しい“結びつき”

 医院でカラー印刷機を購入した話は、この「院長ブログ」でも何回か紹介しています。8月末に導入し、院内で作っている印刷物は大部分はカラー印刷にし、リニューアルできました。親御さんからは「明るくなった」「きれいになった」「見やすくなった」などと、好評をいただき、とても嬉しく思っています。

 ここ1か月半は、外来の患者さんもさほど多くはない時期だったので、カラー化の作業も思った異常に順調に進んできました。そうとうの量があったので、大変になるな、というふうに事前には思っていたのですが、それは見事に外れました。私にとっては義務的な作業ではなく、とても面白く、楽しい作業でした。

20061013

 数百万円の印刷機を気に入って買ったのですから、ちゃんと使いこなさなくては!という意気込みのありましたが、使ってみたらその魅力にはまってしまったというのが、率直な感想です。小さい頃から印刷屋さんにあこがれていた私にとっては、衝撃の出会いだったといってもいいでしょう。

 カラー印刷にあうデザインを考え、色を決めていく作業は、ある意味で単純ではありますが、そこでできあがってくるのは色鮮やかな印刷物。目に前で仕上がってくる物を見ていると、それまでの苦労が飛んでいきます。

 形だけではありません。新しい印刷物を作るのが面白くなってきて、「ヘルス・レター」のシリーズも新しいタイトルを増やして見ました。この間で新たに作ったのは13タイトル。以前から作らなくてはいけないと思っていた親御さんへの指導用のパンフレットです(その全てを、このHP内にもアップしてありますので、参考にして下さい。同名のコーナーとタイトルです)。

 けっこう高額な買い物をしてしまいましたが、何年かすれば十分に元がとれそうです。私がよりクリエイティブに、パンフレットなどの作成に取り組むことができるようになったという点では、すでにその何分の一かは医院に貢献しているともいえるかもしれません。

 昨日からはまた新しいことを始めています。これまではこの印刷機にデータを送って印刷させるのは、ノートブックのパソコン(Power Book G4)を使っていました。あらかじめ作った原稿を、そのパソコンに移し、それを持って2階にある印刷室へ行って仕事をしていました。それを、1階の診察室に置いてあるデスクトップのパソコン(iMac G5)から直接行ってしまおうという考えたのです。

 印刷機との間はLANで結ぶことで、診察室に居ながら印刷させたり、印刷機をモニタリングしたり、その中にストックしたデータを使って印刷物を作ったりすることできます。理論上は可能・・でした。でも、なかなかうまくいきません。

 昨日にひきつづき、今日もこの印刷機のメーカー(理想科学)本社の方と電話で相談しながら、いろいろ試してみました。まずはLANでの接続ができ、一部の機能は使えるようになりましたが、その先がうまくすすみません。今日はシステムエンジニアの方と直接お話をし、その最後の“難関”を突破することができました。そうなんです、1階の診察室から、2階の印刷機を動かすことができるようになったのです!

 今までは印刷の仕事をするのに階段を上り下りしなくてはいけなかったわけで、運動不足の院長にとって貴重な運動(?)だったのですが、今日からはそれも不要になりました。これで一挙に「メタボリック症候群」への道を突き進むこと、間違いなし!? 便利になることと引き替えに、失うものもあるのかもしれません。用心するようにしますね。

 ところで、こういったパソコンのトラブルで電話相談させてもらうことが時々ありますが、けっこう長い時間お話をすることになります。まずこちらの“症状”をお話しし、それに対する解決策を提示してもらい、実際にそれを実行してみる。うまくできなければ、何度かやり直すこともしばしばです。

 そんな中でときどき「無言の時間」を過ごすことがあります。たとえばパソコンを再起動している時がそうです。もう一度パソコンが立ち上がるまで数分間、とくにすることなく、お互いが黙ってしまうような場面があります。でも、そんな時間が耐えられないので、私の方から話しかけることがよくあります。私と同じようなマック好きエンジニアの方が多いので、話はしやすいですね。私がこれまで使ってきたパソコンの話などをしていると、間が持ちますし、お互い気心が知れてくるような気がします(そう思うのは私だけで、向こうはうるさいな、なんて思っているかもしれませんが)。

 今日のエンジニアは女性の方でしたが、初期のころからマックを使っていたということで、話が合いました。マックにはこうしたトラブルが良くあるものと思っているので、それを話すと、「ウインドーズを使って来られた方からはおしかりを受けることが多い」と言われました。確かに以前のマックはトラブルがあって当たり前という感じだったので、「耐性」ができているのでしょうね。(マックの名誉のために追加しておきますが、新しいOSになってからは、以前のようなトラブルがほとんどなくなり、安定したシステムになっています。)

 さらに、「先生のブログは時々拝見しています」などと言って下さいました。遠くにいる方なのに、そんなふうに言われて、急に照れてしまいました。

 今日あった嬉しいお話です。この話を書きたいために、今まで引っ張ってきました。今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

投稿者 tsukada : 23:44

2006年10月12日

のんびり行きましょう!

 赤ちゃんの離乳食は、いつから始めていますか? 日本ではだいたい5か月くらいから始めることが多いと思います。これまで小児科医や栄養士がそう指導してきたからです。それがこれから変わるかもしれません。

 今日のニュースにあったのですが、WHO(世界保健機関)はすでに、「生後6か月までは母乳で十分」と報告しているそうです。早くから離乳食を始めることが、かえって母乳不足になって、赤ちゃんの健康にマイナスになるおそれもあるのだと指摘しています。

 日本で「離乳の基本」という指針ができたのが10年ほどまえ。そこに離乳食は生後5か月から始めるように書かれています。また、それまでの生後3〜4か月を「離乳の準備期」として「薄めた果汁やスープを与える」とも書いてありますが、WHOはその非通用もないとしています。これから検討に入るということですが、近いうちに指針が改定されることでしょう。そこにはきっと「生後6か月までは母乳だけで十分であり、他の水分や固形物を与える必要はない」「離乳食は生後6か月から始める」と書かれることになるでしょう。

 この経過だけをみると、日本の指針は時代に合わないものと受け止めらるかもしれませんね。あるいは、間違ったことを教えていたのではないかと。実は離乳食の進め方については、日本のこれまでの指針は「先進的」だったのです。

 日本では、生まれたばかりの赤ちゃんはもちろん、生後半年くらいまではできるだけ母乳でそだてようという伝統がありました。一方で欧米では、母乳よりも人工乳をすすめていたり、生まれたばかりの赤ちゃんにも乳汁以外のものを与えることも多く、一定した指導方針がありませんでした。一部では、“超早期離乳食のすすめ”といった考えもあり、混乱している状況だったのです。

 そんな中で出された日本の「離乳食は生後5日月から」という指針は、そうとう革新的であり、進歩的な内容だったのです。それ以来、諸外国の離乳食の考え方は、日本と同じようになってきたようです。

 当院でも、すでにこの考え方を取り入れた指導をしています。「離乳食はあせらず、ゆっくりと始める」「生後半年くらいまでは母乳以外のものは、水分も含めて栄養的にも不要」「早い段階でスープやジュース、イオン飲料を与えてしまうのは、かえって問題」など。このHPを通して、離乳食の進め方についての質問が多く寄せられていますが、それへの回答は、このような考えをベースにして行っています。

 普通の赤ちゃんでもそのようにしているわけですが、これが食物アレルギーをもつ赤ちゃんであればよけいです。最初はお粥のような炭水化物を中心にしてもらい、動物性たんぱく質は生後8か月くらいの、消化吸収がしっかりくる月齢から始めるようにお願いしています。それも、本人の様子(嘔吐、下痢、湿疹などがでてこないかどうか)を見ながら、大丈夫だということを確認してから次に進むようにと。

 世の中一般に「早いほうがいい」「多いほうがいい」などという傾向が強くなっています。でも、赤ちゃんの健康作りのためには、離乳食は「早すぎず」「多すぎず」を基本に考えていってくださったほうがいいようです。

投稿者 tsukada : 22:11

2006年10月11日

「核不拡散」というごまかし

 北朝鮮が核実験を行ったと発表したけれど、ニセの情報かもしれないという疑いが出ています。核実験にしては規模が小さい(失敗したのかもしれないとは、当初から指摘されていました)、今のところ異常な放射線が観測されていない、などからです。

 もしかしたら大きめのダイナマイトを爆発させただけかもしれない。そうだとしたら、なぜ北朝鮮は大見得を切って核実験に成功したなどと発表したのでしょうか。「窮鼠猫を噛む」。国際社会から追い詰められ、独裁体制を維持することも難しくなってきたと感じた者が、最後のあがきをしているかのようです。哀れにさえ思えてきます。

 ところで一つ気になることがあります。それは「核爆弾」の保有についてです。国連が作った原則は「核拡散防止」です。すでに核兵器を保有している国はそのまま持っていてかまわないけれど、新たに核兵器を作ったり、保有したりしてはいけない。

 具体的には、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5つの国々は、引き続き核兵器を持っていていいことになっています。その他の国で核兵器を持っているのはインド、パキスタン、イスラエル。これらは国連の条約に違反しているわけですが、条約を批准していません。北朝鮮も、この枠組みから脱退し、勝手に核開発をしてきたという経過があります(それが成功しているかは、まだ分かりませんが)。

 問題がいくつかあります。国連が進めてきたことの全てが絶対的に正しいというわけではありませんが、それでも世界の平和や秩序維持のために一定の役割を果たしてきています。その中で作られた「核不拡散」という考え方を否定することを許していていいのかということ。この点が、北朝鮮に対して強力に圧力を加えようとしている根拠になっています。

 一方で、「核不拡散」という考え方そのものを問い直す必要もあります。たまたま条約が作られた当時に核兵器を持っていたという理由だけで、核の保有を正当化していいのか、という疑問です。核兵器は人間が作った史上最悪の兵器です。世界中にある核兵器が爆発すれば、地球を何十回も破壊することになるそうです。今後、ただの一回でも使用させてはいけない兵器です。つまり、これ以上核兵器を持つ国を増やさないというだけでは、全く不十分なのです。

 最も必要なことは、核兵器をなくすこと。その方向に、それぞれの国が向かっているということであればいいのですが、現状はどうでしょう。交渉による軍縮はある程度おこなわれていますが、核兵器の廃絶を明確に示している国は、まだありません。

 今回の騒動にしても、北朝鮮に核兵器を作らせないだけではなく、アメリカも他の国々にも、核兵器を使わないこと、そして無くすことを求めていかなければいけないと思います。それなくして、ただ北朝鮮の行為を糾弾するだけでは、また新たな“ならず者国家”が同じようなことをしでかしてくるかもしれません。核兵器を持っている大国が、何か大きな過ちを犯してしまう可能性も残されています。

 日本の隣国で核実験のことが問題になりました。これを機会に、核兵器そのもののあり方を、きちんと考えてみてほしいと思います。やはり日本は世界で唯一の被爆国。その悲惨さ、無惨さを知っています。そして、それを世界に訴える使命をもっているのだと思います。もう二度と核兵器の犠牲者がでないために。そして、地球を救うために。

投稿者 tsukada : 23:20

2006年10月10日

元・体育の日

 今日10月10日は以前は「体育の日」でした。“ハッピー・マンデー”と言ったと思うのですが、曜日を月曜に固定し、日にちは指定しないとなってから久しいです。昨日はその祝日だったのですが、実は何の休みなのかあまり良く分からず休んでいました。

 調べたのですが、「体育の日」が制定されたのが昭和41年。その2年前の39年に日本でオリンピックが行われましたが、その開会式の日を記念して作られたのだそうです。そして、この日から東京オリンピックが開かれたのが、一年で一番晴天になる確率が高いという「特異日」だということでした。(このへんの事情は、もうみんなご存じですね。)

 今日もまた好天に恵まれていましたので、やはり「特異日」というのはあるのかもしれません。もちろん統計的に意味があるのかは分からないのですが、でもそんな日もあるのだと思うと、気まぐれなお天気も、ちょっとかわいいところがあるんだな、なんて微笑ましく思ってしまいます。

 今日のお昼のテレビ番組「笑っていいとも!」に、小児精神科医の明橋大二先生が出演されていました。先週に続いてのご出演です。前回は短い時間で、さらに前のコーナーのあおりでバタバタとしてしまっていましたが、今日はわりとゆったり。先生の紹介もちゃんとしていました(前回はそれもなかったようなので、多くの人は「この人は誰?」と思っていたことでしょうね)。

 今日のテーマは「鉄棒で逆上がりができず、しょげている子どもにどう声かけをしてあげればいいか?」でした。タレントの人たちがおもしろおかしく答えを出していましたが、先生の“正解”は「頑張ったことを認めてあげる」でした。頑張ったけど、思ったようにできずに落ち込んでいるわけですので、「もっと頑張れ」というような言い方は逆効果。これまでの努力を「よく頑張ってたね」などと認めてあげるだけで、あとはまた自分で気持ちが落ち着けば、また頑張ろうと思うようになる、そんな説明でした。

 バラエティーの番組ではありますが、ここで語られていることは、とても大切なことですね。子育てだけではなく、人間関係の基本になることです。まじめな顔で、大上段に構えてこんなことを言われても、受け入れてくれないでしょうが、先生の優しい口調で、そしてお笑いも交えて話されることで、テレビの前の人たちに少しずつ浸透していくのは、とてもいいことですね。

 明橋大二先生の「子育てハッピーアドバイス」が空前の大ヒットになっています。分かりやすく書かれた文と、実例を漫画で説明しているところも、多くの人に受け入れられ、支持された理由なのでしょう。

 先生とは一度しかお会いしていませんが、まじめで、でもどこかひょうきんで、憎めないキャラは、けっこテレビ向けなのかもしれませんね。それもバラエティーの(^_^)

投稿者 tsukada : 23:16

2006年10月09日

北朝鮮が核実験

 連休の最後の日、お天気が回復して気持ちよく過ごせました・・午前中までは。お昼のニュースを見て、その気持ちは暗転。何とも不快な気持ちになってしまいました。

 ご承知のように、北朝鮮が今日、地下核実験を行ったということです。その規模はさほど大きくはなく、今回の核実験で直ちに日本が放射能で汚染されることはないのでしょう。その点では、動揺することなく、事態を冷静に見守っていきたいと思っています。

 日本の総理大臣が中国と韓国を訪問するという日を選んでの核実験の実施。そこには、日本などへの強いメッセージが込められています。とくに日本に対しては、下手な動きをするな!という、恫喝といっていいでしょう。まるでヤクザです。

 これで世界からの非難はますます厳しくなり、いっそう孤立した状態になるのは目に見えています。世界がこれだけ反対していた核実験を強行することが、どれほど必要だったのか。何をねらっているのか、何を求めているのか、何がメリットなのか・・良く分かりません。

 分からないのは、ある意味で当然なのだと思います。北朝鮮の独裁者=金正日の基本的な考え方は、私たち普通の人間とは違っているからです。恐怖が支配している独裁国家を作れたということは、普通の人間の、普通の考え方ではできないこと。彼が「人格障害」だからできることなのです。「自己愛性人格障害」と「反社会性人格障害」の2つの側面をもっているのだと思います。

 歴史の中で独裁者として振る舞ってきた支配者には、このタイプが多いようです。ヒットラーはその典型例。日本でもその傾向の見られる政治家は、少なくありません。

 彼らは、他人から注目されることが何よりの快感。それなくしては生きていけないといっていいくらいです。国の指導者になったときにも、同じことをしています。北朝鮮が他の国から相手にされなくなることは、耐えられないのです。できれば、世界の動きが自分と北朝鮮を中心に進んで欲しいと真剣に考えています。それが正しいことでも、悪いことであっても。内容はどうでもいいんです。

 だからなんだかんだと理由をつけて、自分の存在をアピールします。脅すことも平気。犯罪も戦争も、理由付けをするのは得意中の得意。世界から注目を集めることであれば、何でもしてしまいます。周囲から「六者協議に出てこい」と言われていること自体が、実は快感に思っているのかもしれません。風向きが変わって、誰も相手にしてくれなくなってくると、急に「事件」と作り出します。ミサイルの発射も、核実験もそうです。

 それによって、また世界中で北朝鮮のことがニュースで流れる、日本人が北朝鮮のことを怖がっている・・彼にとっては、小躍りするばかいの快感になっていることでしょう。

 北朝鮮は、基本的には中国の手厚い支援がなければやっていけません。日本やアメリカは、もう北朝鮮を直接相手にすることはやめましょう。あとは中国に任せて、ほっておきましょう。すべてのことは、中国を通して行います。経済援助も、人的な交流も。そして拉致問題の解決も。これまで北朝鮮を支援し、独裁国家を維持してきた中国にとっては、北朝鮮のことをきちんと解決することは、絶対に必要なこと。避けて通れません。

 そして、世界から相手にされないことが北朝鮮にとって、金正日にとって、一番辛いことなのです。中国が北朝鮮の未来に責任を持てば、独裁体制を崩壊させる方策を必ずとることでしょう。中国がその決断をしたとき・・金正日は真っ先に逃げていくことでしょう。国民を置き去りにし、国を捨てて。

 往々にして独裁者はそうするものです。何しろ一番かわいいのは自分自身なのですから。国民のため、国のために自分が犠牲になるのはまっぴらご免。それが「自己愛性人格諸害」の最大の特徴です。

 オーム真理教の指導者=麻原彰晃こと松本智津夫もそうでした。アジトに捜索が入ったとき、「信者たちは自分の教えに従っただけだ」と言って、警察の前に進み出てくる姿は見られませんでした。数百万円の金を抱いて、隠し部屋に身を潜めていました。みっともない末路。そのあとの裁判で、罪を認めないどころか、廃人のように振る舞っている姿は、あわれとしかいいようがありません。

 北朝鮮の独裁政治が崩壊するとき、同じような光景を見ることができるように思っています。それが現実になる日は、あんがい近いのかもしれません。

投稿者 tsukada : 23:00

2006年10月08日

もう暖房の季節

 三連休の真ん中ですが、いかがお過ごしでしょうか。新潟は昨日から雨と風が強く、あいにくのお天気になっています。行楽シーズンなのに、どこにも出かけられない方も多いことでしょう。

 気温も急に下がってきました。今日は今シーズンで初めて、自宅で暖房を使いました。エアコンの設定は夏の「冷房」のまま。それを「暖房」にして試験運転したのですが・・。何台かあるエアコンのうち、2台はうまく動きません。それも一番使う居間や食堂です。とりあえずは電気ストーブを出してきましたが、本格的に寒くなる前に、ちゃんと直しておかないと。

 居間には薪ストーブが置いてあります。この「院長ブログ」の冬場の“常連”になっていますね。春先から使っていないんで、今はただの置物(それも邪魔っ気な)になっています。さすがは今日は薪ストーブを使うほどにはなっていませんが、でも久しぶりにその存在を感じました。

 薪ストーブがもうすぐ役にたつ(遊べる)と思うと、胸がワクワクしてきます。薪ストーブのことを思うと(想おうと?)、早く冬にならないかな、などと夏場からずっと夢に見ていました。そればもうすぐ実現します!

 今年は薪の準備はバッチリです。これまでは簡単に作ったあった薪置き場を、ガッチリした物に新しくしました。ちゃんと設計士が設計図をひき、本職の大工さんに作ってもらった物です。力が入っているでしょう。

 薪は丸太を割って作った物もそうとう貯まりました。それ以外にも、木材工場から出てくる廃材をもらい受けて、それをストックしてあります。向こうにとっては「産業廃棄物」であり、その処分には費用がかかります。こっちは燃料として必要ですが、時にはお金をかけて集めることもあります。そんな「利害」が一致して、タダでもらい受けることができています。それも、工場から直接、私の薪置き場に直送してくれています。

 いただいた材木は、大きい物・小さい物、太き物・細い物などバラバラ。それを電動のこぎりで切りそろえていきます。薪は10本くらいの束にして、ロープで一まとめにします。カットした材木は、大きめの布袋に入れます。小屋の中は、そんな薪や袋でいっぱいになってきました。

 割り箸くらいの小さいサイズの物は最初に使う焚き付け様。大きな物は盛んに燃えるようになってから使う物。材木や薪にも、それぞれ役割分担があり、無駄になることはありません。

 薪ストーブを使えるほど寒くなるのは、あと1か月か2か月くらい先でしょう。小屋の中の薪たちも、出番を心待ちにしていることでしょうね!

投稿者 tsukada : 21:56

2006年10月05日

甘〜〜い話(>_<)

 何とも納得のいかない処分でした。酒酔い運転をしていた現職警察官が停職6か月になたという一件です(富山県警)。

 形式的には「酒気帯び運転」としての最高の処分なのだとか。この警察官は依願退職を申し出ていて、退職金1,800万円は満額支給されるそうです。やっぱり・・納得できないですね。

 飲酒運転の事実が、常識では考えにくい内容です。夜勤が終わったあと、午前9時半からコンビニなどで酒を買い、駐車場で飲みながら運転していたとのこと。昼間に、酒を飲みながら運転している自動車が走っていると思うとぞっとします。

 飲み過ぎて二日酔のまま運転しても、酒酔い運転として捕まることがあります。それ自体は良くないことではありますが、悪質性はどちらが上なのか、誰が考えても分かることです。

 以前から同じように酒を飲みながら運転していたことも、本人が認めているそうです。以前にも酒酔い運転の検挙歴があることも、発覚しています。くどいようですが、これが現職の警察官なのですから、あきれます。「たまたま」「出来心で」などといった言い訳は通用しません。

 彼は飲酒運転の常習者です。捕まらなければいいと思っているなんて、警官の考えることなのですか!?

 道路交通法違反という刑事上の責任は、今回の飲酒運転についてのみ問うことになります。それはそれでいいでしょう。しかし警察官としての行政上の処分は、違います。公務員として、そして警察官としてふさわしい行動をしているかどうかが、問われるべき内容です。

 彼は飲酒運転を取り締まる立場にいる警官です。それにもかかわらず、以前から繰り返し飲酒運転をしてきたこと。そして、社会的にも大問題になり、飲酒運転を根絶しようと警察組織も全力を傾注しているその最中に、それをあざ笑うかのように、平気で飲酒運転をしていたこと。その事実は重いです。二重にも、三重にも責任を負っていることを、改めて考えてもらいたいものです。

 この警官は、「どうしても飲酒運転を辞められなかった」と言っているようです。まるでアルコール依存症(アルコール中毒)です。そうだとしたら、公務を続けること自体が無理であり、直ちに仕事をやめて、矯正施設にお願いし、更正してもらう必要があります。

 それでもこの警察官を免職にすることができないのですか? どうしてそんなにかばうのですか? やっぱり「身内に甘い」のでしょうね。いやいや、もしかしたら「身内が厳しい」のかもしれません。こんなことぐらいで首を切ってしまったら、その責任者(警察の本部長?)は、身内から批判があがって、出世できなくなってしまうでしょうから。あるいは、定年退職後の美味しい天下りのポストがもらえなくなってしまう、なんてこともあるかもしれません。

 恐るべきお役人組織です。かくして、富山県は飲酒運転の常習者であった警察官に、少なくはない退職金を税金の中から払うことになりました。やっぱり納得できませんね。

投稿者 tsukada : 23:53

2006年10月04日

明橋大二先生 in 「笑っていいとも!」

 昨日の大日向雅美先生の訪問は、突然のお願いでしたのに実現でき、本当に嬉しかったです。今日もその興奮がまだ冷めやらないような感じがしています。

 水曜の午後は休診。その時間帯を利用して、地域の仕事をしています。今日は近くの保育園で、秋の健診をしてきました。とってもかわいい小さな子どもたちを向かい合っているだけで、気持ちが穏やかになってきます。「センセー、おねがいします」とか「センセー、ありがとうございました」なんて言葉を聞くと、心が癒されてきます。

 中には、私に近くまで走ってきて「つかだセンセー、イエ〜イ!」と言いながらピースをしていく男の子もいました。かわいいですね! もちろん私もピース(^_^)

 こんな楽しい思いにさせてもらえるのも、小児科の役得(やくとく)なのでしょうね。子どもたち、ありがとうね!

 昨日の話題は、大日向先生の他にもう一つありました。お昼のテレビ番組「笑っていいとも!」に、明橋大二先生が出演されたことです。昨年の「上越子育てフォーラム」に講師としてお呼びした先生ですが、今や超売れっ子になりました。先生の子育てについても本は、新聞の下に大きな広告がうたれていますし、本屋さんには平積みで大きな扱いになっています。韓国でもその翻訳本が出版され、大人気なのだとか。

 先生は富山県の病院に勤務されています。ここ新潟県のお隣で、同じ北陸地方です。昨年のフォーラムには、先生がご自身で自動車を運転されて上越に来られました。

 先生のお話は、とても分かりやすく、なるほどな!と思わせるものが多くあります。お話の内容に加えて、先生の甘いマスクと語り口調も、ママたちに大人気になって当然といった感じです。マスコミも注目していたのでしょう。

 そんな明橋大二先生が出演されたコーナーを、昨日拝見しました。短い時間でしたが、先生のお人柄が良く伝わってきました。企画の全体はお笑いでオブラートされていますが、内容はちゃんとした子育てへのアドバイスになっています。(昨日は、「泣いている赤ちゃんに対して、どんな顔をしてあやすか」でした。)

 こんなノリで、子育ての悩みに答えてもらえるなんて、嬉しいですね。育児の不安や悩みをどうしても一人でかかえこんでしまうことの多いお母さんがたに対して、「そんなに辛い顔をしていなくてもいいんだよ」「いつでも相談にのってあげるから話してごらん」・・そんなメッセージを伝えているような気がします。

 昨日の番組では、このコーナーの前がダラダラと長びいていて、時間が押せ押せになってしまったようです。来週からは、もっとたっぷりと先生のお話をお聞きしたいですね。

 いや先生のお顔をもっと良く見せてほしいです。それだけでお母さん方の癒しになるでしょうから。

投稿者 tsukada : 21:12

2006年10月03日

大日向雅美先生です

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 今日はとてもビッグなお客さんをお迎えいたしました。「子育て支援」界(そんなのがあるのか分かりませんが)の重鎮の大日向雅美先生です。現在恵泉女学園大学で教授をされていますが、子育てのついての多くの著書もありますし、政府の各種委員もされていますし、さらにはテレビの育児番組でもレギュラー出演されています。お名前やお顔をご存じの方も多いことでしょう。

 その大日向先生に、来年の「上越子育てフォーラム」の講師をお願いしたいとかねてから構想をもっていました。でも、どうやってお願いすればいいか考えあぐねていたところ、先生ご本人がここ上越市に来られることを知りました。

 子育てサークルの一つである「マミー・ネット」というNPO法人が企画したパネル・ディスカッションにコーディネーターとして招かれているというのです。これは「飛んで火に入る夏の虫」(失礼)。お会いして直接お願いする絶好のチャンスです。

 ということで、アポなしの直談判に及んだという次第です(主催者には了承をいただいておきましたが)。大日向先生には快くお引き受けいただきました。日程の調整はこれからですが、来年の「子育てフォーラム」はとっても良いお話が聞けそうです。楽しみにしていて下さい。

 そのあとのディスカッションを聞きながら、ふと思いついたのが、先生を医院にお連れすることです。夕方には電車で帰るとお聞きしていましたが、会が終わって多少時間がありそうなので、主催者の了解が得られれば駅に行く途中にお寄りいただこうと。そして、私たちのところで行っているささやかな子育て支援=わたぼうし病児保育室を実際に見ていただこうと。

 そんな勝手な話だったのですが、うまく事が運び、実際にお迎えすることが出来ました。今日は病児保育室に7名のお子さんをお預かりしていましたが、保育士と一緒に過ごしている様子を生で見ていただき、その場で私からも病児保育のことや、子育て支援のことをいろいろとお話をさせていただくことができました。

 育児や家庭教育などの分野での日本の第一人者を前にして、ずいぶんと偉そうなことを話してしまいました。先生の温かく人を受け入れるご様子に、ついおしゃべりをしました。先生にはお疲れのところ、ずいぶんとご無理をいってしまい、申し訳なかったと、あとになって思ったしだいです。(最後はとうとう記念写真までせがんでしまいました。)

 東京からは政府の内閣府の方も同行されていました。男女共同参画の立案がお仕事だということですが、地方の小さな小児科で行っている、子育て支援の小さな試みのことも、頭の片隅でちょっと気にかけていて下されば幸いです。(もちろん、それが政策に影響してくれば望外の喜びです。)

 ということで、急きょ大日向先生にお会いし、病児保育の現場を見ていただき、そして来年のフォーラムの講師までお願いしてしまったという、特別な一日でした。とっても内容が濃くて、ちょっと疲れました。でも、快い思いでいます。

投稿者 tsukada : 23:54

2006年10月02日

もう一つの「再生」

 昨日は「再生」の話を書きました。普通にDVDを見る機能としての「再生」(play)と、傷ついてもう見れなくなったDVDを直してもう一度見られるようにするという意味の「再生」(recover、repair)をかけていたのですが、分かりましたか?(誰からも反応がなかったので、自分でネタばらしをしました)。今日はさらにもう一つの「再生」の話です。

 こんどはCDのタイトルに使われている「再生」です。今、私の目の前に置いてあるCDがそれ。と言っても皆さんに分かるはずはありませんね。松山千春が今春にリリースしたアルバムです。

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 これは千春がデビュー30周年を記念した出したアルバム。2枚組で、その1枚が昔の(!)曲のカバーになっています。彼がカバーをするのは、おそらく初めてでしょう。もともと自分の作った歌以外には、まず歌うこともありませんし、アルバムに入れることもほとんどありませんした。それがいきなりのカバーです。ちょっととまどってしまったというのが、正直なところでした。

 全部で10曲入っています。「別れのサンバ」(長谷川きよし)は私も大好きな曲。盲目の長谷川きよしが、ギターをひきながらさみしげに歌う様子が、すっごくかっこよかったです。「雨が空から降れば」(小室等)は、ギターを弾くきっかけになった曲。「私たちの望むものは」(岡林信康)では、岡林の思想性が近寄りにくく、でもできれば近寄りたく思い、もどかしく思っていた思い出があります。

 そんな往年のフォークソングは、松山自身が今でも自分はフォークシンガーと言っているように、同じ時代に生きていた証のようなものを感じているのだろうな、などと勝手に想像しながら聞いていました。もちろん、私の若かりし頃と同時代の生き証人のような曲と人間たちです。

 「どうぞこのまま」(丸山圭子)、「さようならをするために」(ビリーバンバン)が出てくると、ちょっとまた雰囲気が違ってきます。突っ張っていたころの千春だったら、こういった曲を歌うことはおろか、存在さえ認めないのではなかったのかな、などと思ってしまいます。「妹」(かぐや姫)、「卒業写真」(新井由実)とくれば、もう完全に路線が違うのでは。

 そんな曲も、でも千春は歌うようになりました。むしろ、昔の“名曲”ではあるけれど、いつの間にか歌われず、忘れ去られようとしている曲たちを、もう一度よみがえらせたい、あるいは、別の新しい命を吹き込んであげたい。そんな思いを持ったのでしょう。

 デビューから30年がたち、松山千春もかわってきたのかもしれません。どこかで少し丸くなってきたのでしょうか。自分と、自分の生きてきた時代を振り返るようになったのかもしれません。そんな千春の“成長”を、ちょっと寂しく思ってしまう一面もありますが、彼は彼。これからも自分の道を歩き続けていくことでしょう。

 ということで、今日の「再生」は、古き時代の名曲を再生させるという話でした。でも、もしかしたら千春自身の「再生」? それとも・・失った髪の「再生」だったりして(^_^;) おっと、フォーク界の大御所に大変失礼なことを言ってしまいました。どうぞお許しを。

【緊急告知】小児精神科医の明橋大二先生が、明日(3日)のお昼のTV番組『笑っていいとも』に出演されます。先生には、昨年の「上越子育てフォーラム」の講師をしていただいたご縁があります。著書『子育てハッピーアドバイス』は第3巻まで出版され、今やベストセラーになっています。そんな先生に、お母さん方の子育ての悩みをぶつけて、答えてもらおうという企画のようです。半分はお笑いになるかもしれませんが、でも先生のお話を聞くことができるなんて、嬉しいです。火曜日のレギュラー企画のようです。まずは明日のお昼に、テレビをご覧になってみて下さい。

投稿者 tsukada : 23:39

2006年10月01日

DVDの“再生”

 今日から10月。夕暮れも早まり、秋は急速に深まっていきそうです。当地では夕方から雨模様。まだそれほど寒さを感じませんが、今月中には冷たい雨になってしまうことでしょう。

 先日レンタルしたDVDのこと。途中で画面がフリーズしてしまいました。DVDを取り出して良く見ると、けっこう傷がついています。楽しみにしていたドラマだったのですが、残念。別なDVDに交換してもらうつもりで、今日レンタルショップに行ってきました。

 事情を話したところ、DVDを直して再度貸し出してくれるとのこと。お店にはそれ1本しか陳列してなかったことは知っていたので、他のショップから取り寄せてもらうつもりでいました。でも、同じDVDをまた貸してくれるというのです。

 「店のレコーダーで映像を確認して、ちゃんと見られるようなら再度貸し出します」と若い店員から言われたのですが、その前段の「DVDを研磨して・・」が良く聞き取れず(理解できず)、思わず「同じ物を借りても私の家のレコーダーでは写らないですよ」などと、ヘンテコリンなことを言ってしまいました。それも2度も(-_-)

 そのあと、CDやDVDは多少の傷なら復活させられるんだということに気づきました。時すでに遅し。店員さんは、理解の悪い中年オヤジにちょっといらついていたかもしれません。

 そうでした、研磨すればいいんです。DVDの裏面のプラスチックは、それ自体に音源を含んでいるわけではありません。中の記録層を覆っているだけですので、それが透明でスムーズな表面であればいいんです。

 削るという荒っぽい表面になってしまいそうですが、微細なヤスリで丁寧に磨けば、ピカピカの表面に戻ってくれそうです。そのための機械が、カウンターの奥に見えました。多少の手間はかかるでしょうが、お店としてもDVDを無駄にしなくてすむので、経済的な損失は生まれません(傷をつけたお客を特定し、代金を請求するなどということは、なかなかできそうにないですから)。

 こんな“誤解”が生まれたのは、昔のレコードのイメージがあるからでしょう。針が直接、レコードに掘られた溝にはまり、それをこすりながら音源を拾っていきます。レコード表面に傷がつくことは、命取りになってしまいます。

 でも、CDやDVDは非接触。表面をこすっているわけではないので、理論的には永久に“再生”できますし、傷があってもこのように“再生”させることが可能です。技術は進歩していたんですね。それについていけなかった自分が、ちょっと悔しいです。

 余談ですが、レコードとCDやDVDの違いがいくつかあるのを知っていますか。音源があるのは、レコードでは上の面ですが、CDやDVDは反対の下面。記録の順は、レコードでは外から中に向かっていきますが、CDやDVDは中から外に向かって記録されています。・・あんまり役には立たない豆知識でした。

 ちなみに、レンタルしてきたのはアメリカのTVドラマで「FBI--失踪者を追え」です。昨年からNHK BSで放送されていて、とても面白く毎週欠かさずに見ていました。失踪者の生きてきた環境を探る中で、その人間模様がしだいに分かっていくというのが、毎回のテーマです。そして、5人の捜査官自身の生き方・考え方を見せてくれるのも、このドラマの深みのあるところですし、私が“はまった”理由なのでしょう。

 見始めたのが途中からだったので、シリーズの最初から全部見てみようと思っていました。先月からレンタルショップに並ぶようになっていたので、さっそく借りてきたわけなのですが、それが途中でトラブってしまったというお話です。

 もちろん、借りてきて速攻で見たのは言うまでもありません。やっぱり面白かったですよ!

投稿者 tsukada : 23:58