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2012年10月11日

マラソン完走記

 人生初挑戦になった先日の50キロマラソンが終わって5日ほど経ちました。まだ記憶に残っているうちに、当日のことを書きおくことにします(最近は忘れるのが早くなってきたもので・・)。

 マラソンは6日午前8時30分スタートですが、そこへ行くバスは6時半に出発。当日は5時に起き、支度をし、6時に自宅を出ました。バスに揺られること約30分。日本海側の国道を通るので、右には海が見え、左にはマラソンコースとなる自転車専用道が見えていました(もともとは北陸本線が通っていた線路のあったところを舗装してあります)。

 でも周りの景色をゆっくり眺めてはいられませんでした。以前から読んで、その通りに実践してきた「指南書」に、スタート前2時間の間で餅を7個食べるように書いてあったからです。長距離を走るために、直前に十分なエネルギーを蓄えておく必要があるという理論です。

 「溺れる者藁をもつかむ」というべきか、「信じる者は救われる」というべきか。十分な走力もなく、経験もなく、ただ気力だけで走ろうという「無謀な挑戦」(高校同級生の言葉)をする私にとって、理論通りに準備し、その通りに走り抜くことだけが、完走への手立てでした。

 まずバスの中で餅を4個・・その気になれば食べられるものです。ただ温めただけで、味もつけていませんでしたが、イオン飲料(これも、勧められていたOS-1という、脱水治療に使う経口補液)だけで飲み込みました。

 会場について準備していると、隣にいた方(長野市から来られたそうです)も同じく餅を食べていました(海苔を巻くという違いはありましたが)。きっと同じ本・・そう思って話をしてみると、確かにそうでした。

 この方は地元でランニングのクラブを主宰されているそうですが、仲間たちに餅のことを紹介し、みんないい成績をあげることができたそうです(一人だけ、大好きな大福餅を食べて、走っている途中にお腹を悪くしたとのこと。この本には、走るまでは砂糖などの人工的な甘みは摂るなとも書いてあるのですが)。

 そんな話をしていると、少し安心してきました。スタートまで、わりとリラックスして過ごすことができました。(餅はあと2個食べられました)

 やはり本に書いてある通りのサプリなどをポシェットに入れ、足首をしっかり専用テープで固定し、靴下を裏表逆に履き(外側の方がなめらかなので、足に豆ができにくい)・・。準備万端でスタートすることができました。

 最初はとにかくゆっくり・・これも指南書通りです。30キロ以降の体力を温存するために、また体を温めるために、最初の10キロくらいはペースをぐんと落としておく。

 そんな走り方をしていたら、確かに体は楽でした。今年の春に初めてロードレースで走ったのは10キロですが、それを過ぎてもまだ問題なし。足にも痛みがなく、呼吸が乱れることもなく、お腹が痛くなったりするトラブルもありません。

 順調だ! このまま行けそうだ! そう思っていたのは20キロくらいまででした。それからは足が次第に重くなり、スピードをあげることができなくなりました。

 さらに25キロ付近が最悪。広い田んぼの真ん中に、一直線の道路が数キロ続いていました。この長〜い道路が鬼門でした。ランナーはしだいに少なくなり、孤独感も。街中では声援して下さる方々がおおぜいおられましたが、ここには誰もいません。直線道路なので、道を間違う心配がないからか、誘導する係の方もおられません。

 周りは田んぼ。前を見れば、遠くに建物が見えるのだけれど、いくら走ってもなかなか近くにならない。実際に足に疲れがたまり、時々歩くようになってしまいました。

 疲れたから歩くのですが、そこからまた走り出すのがまた大変です。気持ちを切り替え、足を進めようとするのですが、下半身全体が痛み出します。10メートルほど耐えながら走っていると、やっと思うように動かせるようになります。

 もう歩くのはやめて、走り続けようと思うのですが、でもやはり疲れに負け、また歩いてしまう。そんなお粗末なことをしていて、ずいぶんとタイムをロスしてしまいました。

  30キロの手前に第2関門が設けられていましたが、そこが閉鎖する3分前にようやく通過。でもこの時点では、まだ何とかやれそうな気持ちではいました。でもここからが長い坂道。疲れ切った足には酷な道が始まりました。

 長く、きつい坂道をゆっくり登りながら、この挑戦を終わらせたくないけど、足がついていかない・・。転んでケガをしたり、横の谷に落ちたりすれば、マラソンをリタイアする口実になるかも、などというつまんない思いが頭をかすめることもありました。

 そんな落ち込んでいる時に、救いが現れました。ある職員のご主人が、私を見つけて(というより私を捜してくれていて)、足にアイシングをしてくれたのです。ガンガンに熱をもち、パンパンになった大腿や下腿の筋肉は、そのお陰で息を吹き返してくれました。

 山道に入って、前後に誰もランナーがいない状況でしたので、知っている方に会えてホッとしたというのも、正直な気持ちです。

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 これはその方が撮ってくれた写真です。地獄から生還した、って顔をしてるでしょ。それからあとはほとんど立ち止まったり歩くこともなく、最後まで走ることができました。この時の助けがなければ、完走することは不可能だったことでしょう。本当に感謝です。

 でもスピードをあげることはできませんでした。ゴールまであと5キロのところで、制限時間は残り1時間弱。普通に走れば(走ることができれば)、余裕をもってゴールできるのですが・・。そう思ってややスピードをあげたとたんに、足の筋肉がつり始めました。筋肉のれん縮です。

 足がつるのは、私にとって初めての経験。これまでそんなになるほど、激しい運動をしたことはありませんでした。主には腓腹筋(ひらめ筋)ですが、大腿後面の屈曲筋も悲鳴を上げていました。スピードを落とせば何とか走れるようになります。落ち着いたのでまた速く走ろうとすると、またつってします。そんなことを何度かしているうちに、時間内完走は無理とあきらめざるをえませんでした。

 でも、走りつづけたい、時間はかかっても完走はしたい! その思いだけで、前に足を進めました。歩いたほうが速いくらいの速さだったでしょう。何でこんなにゆっくり走っているの?と不思議に思われたかもしれません。でも、そんなことは関係ない!(←古い)。

 最後の数か所の給水所では、そのたびに「大丈夫ですか?」「まだ走れますか?」と聞かれました。そのたびに「大丈夫です!」「このまま走らせて下さい!」とお願いしていました。

 最後の数キロで、自分がラストのランナーだと気づきました。途中で追い越した女性ランナーが、その後復活し、私を順調に抜いていきました。きっと時間内に完走できたでしょう。ずいぶんと苦しそうに走っている男性の方が前にいたのですが、気づいたら見かけなくなっていたので、きっとリタイアしたかも。

 制限時間はすでに過ぎ、たった一人のランナーにはなったけれど、それもずいぶんゆっくり走っているけれど、でも最後まであきらませんでした。ボランティアの方々や、沿道で応援して下さっている方々には、会釈をしたり、ありがとうございますと声をかけることも忘れませんでした。(足はぼろぼろでも、上半身はしゃきっとしていたツモリ)。

 ゴール近くになったら、私のことを待っていてくれた職員が何人もいて、とっても嬉しかったです。隣には100キロを走り終えたランナー達がどんどんゴールしている中、たった一人でひっそりと50キロをゴールしました。

 制限時間を過ぎていたのでメダルはもらえなかったですが、でも「完走証」は手にすることができました。最後まであきらめず、走りきることができたのは、とても嬉しいことです。そして、支えていただいた多くの皆さんに心から感謝申し上げます。

 次の大会(2年後)はぜひ「制限時間内での完走」を達成したいと思っています。その目標にむかって、日々のトレーニングをしていくための糧(かて)になりました。本当にいい経験でした。

投稿者 tsukada : 2012年10月11日 20:46