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2010年09月26日

お葬式で日中関係を学ぶ

 この週末、親戚の方が亡くなり、お葬式に参列させていただきました。故人の方もそうですが、お集まりになられた方々にはずいぶん懐かしい思いをいだきました。まだ子どもだった頃の私の記憶しかなく、すっかり変わった様子に驚いて声をかけていただいた方もおられます。

 お葬式は故人を偲ぶだけではなく、この世にまだ生をもっている人たちのつながりを強くする機会になるものだと実感しました。

 あまり形式ばったことが好きではない私です。お経の意味することも分からず、何となく有り難いものだとしか思っていない不心得者です。きっとバチがあたることでしょう。

 そんな私ですが、お坊さんのお話(ご説法? お説教?)には心を打たれるものがありました。故人はとても信心深く、お寺のために尽くしていたなどという生前のエピソードは、初めて知るものでした。

 お話の中で、ちょうど日本中を騒がせている中国漁船船長の逮捕と釈放について触れられました。日中の関係がこんなふうでいいだろうかという、強い懸念を持っておられる様子でした。

 お坊さんはこんなふうにお話しされました。日本はいにしえの昔から中国のお世話になってきた。漢字を代表として、中国の文化から日本の文化や社会ができてきた。日中戦争では日本が大変な目にあわせてしまった(侵略のこと)。その戦争が終わったとき、日本人はやむなく多数の子どもたちを中国に残してきたが、そんな孤児の面倒を見てくれていたのは中国の人々。いまこのようにしていがみあっているけれど、それでいいのか、もっと大きな歴史の流れの中で考え直す必要がある。(←私の記憶をもとに「再現」したので、言葉としてはこの通りではありませんが、このような意味合いだったと思います)

 本当にそうだよね、って思いました。確かに中国の態度は強硬であり、日本にとっては不愉快極まりないものです。でも、そんな中国に対して、日本は先進国として、民主主義社会の先輩として、諭すように態度を改めさせることができればよかったのに、とも思います。

 理不尽な要求であっても、でかい声を出し、同じことを言い続けたものが勝ってしまうようです。それに対向しようとして、同じような態度をとったら、残念ながら相手の態度をよい方向に変えていくことはできないでしょう。

 日本の憲法を思い出しました。その前文は私のお気に入りです。次のような一節があります。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 国際関係のトラブルを、力まかせに解決することはしないという、とっても理想的な考え方です。日本の憲法なのですから、やっぱり大切にしましょう。

 9条はあまりに有名です。

「第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 向こうが武力をちらつかせ、声高(こわだか)に非難してきても、日本はきっぱりとその立場を明確にし、国際的に公平で公正なルールに基づいて行動しましょう。難しいことではありますが、でもそうしなければ、いつまでも同じことの繰り返しでしょう。

 緊張している日中関係について、そして国際社会における日本のとるべき立場についても教えられたご葬儀でした。有り難いご説法に深謝です。

投稿者 tsukada : 2010年09月26日 22:18