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2009年02月20日

人生の舵

 もう大臣を辞任して「過去の人」となった中川氏のことを、これ以上あれこれ言うのはやめます。誰のせいでもない、「身から出たサビ」で進退が決まったのですから。

 でもまだ「現在の人」が残っています。その人たちの責任は、だれがどうとったのでしょう。まだ誰もとっていないように思います。

 まずは麻生首相。大臣として任命した責任は大きなものがあります。大臣として適任ではなかったにもかかわらず、彼に重要閣僚を任せたのは問題でした。どう責任をとるのでしょう。(もともと政治家としても適任とはいえませんが)

 周囲にいた役人や秘書などもどうだったのでしょう。彼の飲酒癖を助長させてはいなかったでしょうか。見て見ぬ振りをする・・そんな態度をとっていなかったでしょうか。もしそうだったとしたら、そして黙認していたことを今でも認めず、反省することができないのなら、その人たちは行政や政治の世界にいるべきではありません。

 新聞やテレビといったマスコミも問題でしょう。彼が「酔いどれ会見」を開いたあと、過去のトラブルなど、どんどん出てきます。つまり今まで知っていたのですね。ならば、なぜ今まで放置していたのでしょう。

 「権力の横暴をチェックする」「政治や行政の不正をただす」といった社会の浄化機能を、マスコミは担っているはずです。臭い物があるとしっていて、その正体も分かっているのに、そのままフタをしておく。トラブルになって初めてフタをあける。

 そして、「永田町では周知の事実」とまで言う。知っていたのなら、なぜその時に問題にしないのか。もっと小さなトラブルの時に、それを取り除く努力をすることって、マスコミにとっては「美味しい仕事」ではないのでしょうね。

 大きな事件がおきたときに、「そら見たことか・・」といって大騒ぎする。法的に間違っているわけではないでしょうが、社会倫理などという大きなテーマを常にとりあげ、社会に警告を発しているマスコミとしては、いささか問題ありといわざるをえません。

 さらに・・あの飲酒会見の前に、ローマでいっしょに酒を飲んでいた記者がいたというのですから驚きです。仕事として政府要人に随行し、重要な会議について取材するのが彼らの役割です。

 確かに気心が知れていないと、情報を流してくれない、といったこともあるでしょう。でも記者は「お友達」ではありません。飲食をともにすることで、逆に間違った情報をもらったり、情報操作の片棒を活がされたりすることもあるかもしれない。そんなリスクがあるのだということを、記者としての教育を受ける中で教えていないのでしょうか。

 当初の報道では、中川氏の行動を詳しくは報じていません。でも、すでにその段階で、周囲にいた「仲良し記者」たちは、彼が今回もまた深酒をし、昼からアルコールを飲んでいたという、具体的な事実に基づいた重要な情報を持っていたことになります。情報の根拠は、自分たち記者の行動ですから、間違えようがありません。

 でも、それを本社に報じるのは、さぞためらわれたことでしょう。もしつぶさに事実経過を伝えたとしても、東京の本社でもやはり逡巡したことでしょう。どちらに問題があったのかは分かりませんが(おそらく両方なのでしょう)、けっきょく記者もいっしょになって現地で酒を飲んでいた、などという報道はされていません。

 テレビの中で、報道に携わる人たちが、こういった不祥事を声高(こわだか)に非難しています。でも、ほんとうにそんな態度をとれるのか、疑問にも思います。自分はちゃんとしているの? 記者やスタッフはどう? 会社は社会的責任をきちんと果たし、モラルある行いができているの?

 悪いことをした人を擁護するつもりはありません。私も弱い人間だから同じことをしてしまうかもしれない、などと自己擁護するつもりでいっているのではありません。

 他の人や組織にモラルを求めるのと同じように、自らもモラルをもつよう、ふだんから努力する必要がある、という話をしたいのです。もちろん、それは私も例外ではありません・・そうしようと思っています。でも十分出来ているかというと、自信はありません。まだまだです。

 齢(よわい)50数歳。人生の半分はもう過ぎましたが、これからも「方向」だけはしっかりと舵をきっていきたいと願っています。

投稿者 tsukada : 2009年02月20日 23:59