« 草原を夢見て | メイン | ある塾長との出会い »

2007年08月10日

保育士という資格

 大阪のある保育園で腸管出血性大腸菌O157の集団発生がありました。亡くなったお子さんも一人出ています。とても怖い感染症ですので、一刻も早く終息することを願っています。

 今回の件については大きく取り上げられ、報道の中でいろいろなことが指摘されています。まだ事態が終息したわけでもありませんし、事実関係がはっきり分かったわけではありませんが、今のところは、この大腸菌に感染したお子さんが園の中で他のお子さんに伝染させたようです。給食による食中毒ではないとされています。

 登園してくるお子さんの中にはすでに感染症にかかっている子もいますし、その潜伏期で発症間近の子もいることでしょう。その子から他の子や、ときには保育士などの職員が感染を受けることもあります。集団生活をしている限り、その可能性はたえずあります。

 お子さんの健康管理、園内での手洗いやうがい、食品の衛生管理など、しなくてはいけないことが多々あります。しかし、そういったことをきちんとしていても、残念ながら感染症の発生や流行を完全にゼロにするのは、難しいことです。

 その点で、今回の園でのトラブルは不可避のものかもしれません。もちろん、その後の対応がきちんとできていたか、など、検証すべき問題はありますが、感染症の集団発生だけをとって園を非難すべきではないように考えています。

 私が施設長をしている「わたぼうし病児保育室」は、実はこういった感染症の集団発生のリスクは、通常の保育園よりそうとう大きいと認識しています。通常の保育園が「健康と見なされる子どもたち」を預かるのに対して、病児保育室では「病気をしている子どもたち」を預かっているのですから、当然です。その分、お預かりしたお子さんの健康状態のチェック、他にお子さんや職員への感染防止の対策(隔離、手洗いの徹底、マスクの着用など)など、できる限りの対策を講じなくてはいけないと考えていますし、実際に実行しています。その結果、これまで6年余の中で、園内での二次感染をほとんど防止できているように考えています。

 その対応の一つに、保育にあたる職員の資質向上と、スタッフ数の確保があります。当院ではお預かりする病児の増加にともない、保育士も年々増員してきました。現在は常勤4名、非常勤3名の合計7名の体制で日々の病児保育を行っています(そのほかに、医院から医師である私や看護師が健康管理に仕事を受け持っています)。

 行政からの補助が得られていない中で、これだけの体制を作るというのは、経営だけを考えればありえないことですが、でも本気で病児保育をしようとすると、やはりこれくらいの規模にはならざるをえないと思っています。

 ところで、病原性大腸菌の集団発生があった園では、保育士が必ずしも充足していなかったそうです。開園当初はゼロ(信じがたいことですが)。市当局からの指摘を受け、現在は2名の保育士がいるとのこと。それで30数名の子どもたちを預かっているのですから、いったいどんな保育体制なのか、はなはだ疑問です(他に職員がいますが、無資格者です)。

 この園を経営している会社のHPを見て、ショックを覚えています。保育士を採用しなかった(できなかった)理由を、とうとうと述べています。以下はその引用です。

「保育者の数等についての行政指導についてですが、全園ともスタッフ数については全く問題がないと認識してはいますが、資格者については、若干数において資格者所有者が足りない状況の園があります。天六園については当社としてスタッフの品質重視の考えから開園当初は資格よりも人間性という判断で採用活動を行っていた時点で資格者が不足している時期がありました。ただし、皆様もご存知のように市の監査指導により現在では資格者については充足しております。ただ、これについては、資格所有を重視することで基礎能力や人間性といった本来の保育者の品質を併せ持つスタッフの採用は非常に難しい面がありますが、この両条件を満たすスタッフを配置するべく、これについては、今年度の特別課題として全園ともに当社の最優先事項として進めているところです。」(タスク・フォースのHPより)

 まずもって「品質」という言葉に、違和感を覚えます。いつから物に対してではなく、人に対して使う言葉になったのでしょうか。人を物扱いしている? 当然「資質」でしょう。

 採用にあたって、「資格よりも人間性」を判断したのだとか。その結果、保育資格を持つ者を採用できなかったし、保育士を採用したら「基礎能力や人間性」に問題があったというのです。そこまで言ってしまっていいの?と心配なります。

 確かに資格を持つことだけで、完璧に保育に関わるに値するとは言えないでしょう。実際の保育をしながら身につけていく能力や、資質の向上もあります。

 しかし、保育士の資格をとるということは、保育学についての勉強をまがりなりにも数年間してきたということです。基礎から始まって多くの講義を聴いてきたことでしょう。実習にも参加し、実際に子どもたちを保育する場面を経験していることでしょう。保育学の教諭陣から、保育とは何か、子どもたちの成長の中でその役割はどんなことであるか、そういった「神髄」を教えてもらうこともあったでしょう。そして、国家試験を受け、国が一定の能力を持つと認定したのが「保育士」です。

 資格をもっているだけでは十分ではない・・それは分かります。でも、資格がなくてもいいんだとする考え方が、理解できません。保育士の資格をとった者は、人間性に問題があるかのような言い方が、どうしてできるのか、不可思議でなりません。

 資格だけあればいいというような「形式主義」におちいるのは問題ですが、資格なんてどうでもいいとばかりに形式を全く無視してしまうことはもっと問題です。資格がなくても保育のまねごとはできるでしょうが、それが保育の質に大きな問題をはらむことを見落としています(見て見ぬ振りをしている?)。

 この会社はHPの中で「利益だけを目的にはこの事業や仕事は出来ません」「決して商売主義ではないということを信じて欲しいと思います」と書いています。本当にそう考えているのであれば、保育の体制を根本から作り直すようにしてはいかがでしょう。

 行政から指摘されたから保育士を仕方なく雇った・・そんなふうに公言してはばからない姿勢を、まず見直してほしいと思います。

投稿者 tsukada : 2007年08月10日 21:44