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2007年08月06日

ノー・モア・ヒロシマ&ナガサキ

 今夜は夜間診療所勤務。主に子どもたちの急病に対応するために控えています。季節柄、それほど混み合うこともなく、わりとゆっくり過ごしています。存在することに意義がある、ということでしょう。

 今日は広島に原爆が落とされた日。記念式典が行われ、総理大臣も原爆をなくすために努力すると誓っていました。でも、それが本気なのか疑わしいところもあります。

 先日の久間元防衛大臣の「しょうがない発言」がその象徴でしょう。個人の失言ですますことはできません。実際に日本政府は、一度たりともアメリカに対して、広島や長崎に原爆が使われたことを抗議していないのですから。

 核兵器の問題は、その破壊力にあります。一般の市民を含む多数の人たちと、広範囲の地域に壊滅的な打撃を与えます。「大量破壊兵器」の代表として、その非人道性が問題なのです。

 通常の兵器は(鉄砲などの小火器や、大砲などの重火器ともに)、その効果(人の殺傷や物の破壊)は限定的です。それでも人を殺すわけですし、物を壊します。しかし、通常兵器がさほど問題にならないのは、それが戦闘員に向けられるものであり、戦闘地域だけで使用されるからです(建前の上ではそうです)。

 もちろん、戦争はなくしていきたいし、戦いのない世界は理想です。でも、とりあえず今すぐそれが実現されることはありません。(理想を捨てる必要はないし、やはり理想としてたえず人類の進む先に掲げておくべきだと思いますが)

 戦闘員・・つまり兵士は戦争をすることが「職業」です。そして兵士同士だけの間で戦闘行為をすることは、戦争としては「許される範囲」と見なされています。戦争を正当化するつもりはありませんが、でも戦争とはそんなものかもしれません。

 問題になるのは非戦闘員に対する殺傷行為です。市民を巻き込んでしまう戦争は避けるべきです。女性や子どもたちを直接ターゲットにすることは最悪の行為。もしそういったことが起きているのであれば、その兵士たちのモラルが問題にされ、それを行っている軍や国はその責任を厳しく追及されることになるでしょう。

 通常兵器ですら、その「使い方」によっては問題になります。核兵器にいたっては、どのような使い方をしても、多数の一般人を犠牲にすることは明らかですし、広大な地域を灰同然にしてしまいます。つまり「大量破壊兵器」であることが、それ自体でその存在を許すことはできないのです。

 広島と長崎に原爆が炸裂しました。その時に、とても多くの市民が犠牲になっています。非戦闘員をねらい打ちにした戦闘行為は、どんな理由をつけても許すことができない・・そんな強い意志を、世界で唯一の被爆国である日本政府が、どれほど持っているか、疑問です。

 核兵器をめぐっては「非拡散」という考え方が世界の主流です。しかし、新しい保有国を認めないというだけであり、以前から保有している国はそのままでかまわないというのは、おかしな考え方。大国の身勝手な論理です。

 核兵器は使うことはもちろん、作ることも、持つこともお互いが認めない。やはり核兵器を完全に「廃絶」する方向で進んでいくべきです。実現はそうとう困難です。でもまったくの絵空事でしょうか。私たちには、それを実現するための知恵と勇気はないのでしょうか。

 広島や長崎の原爆の日になるといつも疑問に思います。何のために追悼するのでしょう。ただ「悲惨な出来事」が起きたということで終わってはいないでしょうか。

 本当に核兵器が廃絶されるために何をすれば良いか、良く考えてほしいと思います。

投稿者 tsukada : 2007年08月06日 21:48