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2006年11月13日

エスカレーターの掟(おきて)

 東京にいると、感覚が違ってきます。一番は人の多さ。夜遅くなっても、まだまだ街にはたくさんの人が出ています(この時間には、こっちではもう真っ暗で、人通りはまずなくなります)。時間の感覚も、まるで違うようです(時差がある?)。

 日中の街は、ビルと自動車の多さで圧倒されます。行きたい場所も、通りが一つ違うともう迷子状態。人の波に流されていると、いつのまにか知らない所にいます。自分をしっかり持たないと生きていけない街なんだと、納得!

 エスカレーターの“マナー”には、いまだ違和感を持っています。以前、知らないで子どもと並んで乗ったら、「東京では、右側を空けるんだよ!」と言われてしまいました。確かに左一列にきれいに並んでいます。その右を、スタスタと歩いていくんですね。関西では左右逆なのだそうですが、エスカレーターに乗ってまで、さらに急いで行かなくてはいけないなんて、都会人ならではなのでしょうか。

 でも、エスカレーターは歩くところではないはず。乗ったあとは、機械の力で運んでくれるのを待つのが基本ですよね。転倒などの危険防止のためにも、やっぱり歩くのはイレギュラーなこと。どうしても急ぐという人は、「すみません!」と言いながら人をかき分けていけばいいし、それができなければ階段で行くか、エレベーターを使うかすればいい。先を急ぐ人のために、大多数の人たちが小さくなっているのは、やっぱりヘンなのでは。それとも、心優しい人たちが大半なのでしょうか。

 エスカレーターに普通に乗れば、一度に2倍の人たちが利用できます。混雑してくると、時々エスカレーターの前に待っている人で列ができていますが、それも解消されるはず。その方が、全体としてはスムーズに進むことができるはずですよね。

 最近の日本人はマナーがなっていない、という話がよくでます。でも、エスカレーターできれいに並んでいる様子をみると、え? けっこう日本人もマナーができているような印象ももちます。それも、誰かが決めた「規則」ではないのですから、すごいことなのかも。

 私は、これは実は違うのではないかと思っています。おそらく日本人の「団体主義」が関係しているのではないか、と。みんながしていることには、意味がなくても従う習性が、日本人には強くあるのです。一人ひとりがどう考えるのではなく、みんなと横並びでいようという気持ちが強いために、自然とできたルールなのではないか、と。

 一度それらしいルールができると、それに反する行動はとりずらくなる。みんながしているから、自分もする。「エスカレーターでは歩くべきではない」などと正論(?)を言い始める人もでにくくなる。そういったことで、自然発生的にできた「掟(おきて)」なのではないのかと思っています。

 東京に行くといつもどこかに違和感を感じてしまいます。やっぱり私は、田舎でゆっくりと過ごすのがいいようです。

投稿者 tsukada : 2006年11月13日 22:53