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2006年08月02日

本当の責任はどこに?

 今日は日中30度を超える暑さとなり、いよいよ本格的な夏の訪れです。今週は良いお天気が続くようです。思う存分、夏を楽しんでいてください。

 先日起きたプールでの死亡事故は、当時の様子やこれまでの管理の状況が分かるにつれ、とんでもなくお粗末な原因によるものだということが明らかになってきました。

 吸水口(昨日までは「排水口」と表記していましたが、管理者側はこう呼んでいるそうです)のふたは、ボルトでの固定はされておらず、4隅を針金で「仮止め」してあっただけ。針金で補強するのは、6、7年前から行われていたそうです。ボルト固定のための修繕は、そうとう以前にはあったようですが、最近は皆無。そのことを市に報告したり、協議したかどうかは、今のところは確認されていません。

 市が直接管理しているのではなく、民間会社に委託をしていましたが、実際の管理をしていたのはまた別の会社。市の説明では、下請けに出すのは契約違反であり、そのことは報告されておらず、把握していなかったということです(市の言い分も、実はあまり信用していないのですが)。

 現場にいた監視員は、すべて高校生のアルバイト。流れるプールについての具体的な説明や、吸水口などの構造、そして危険性については、体系的な教育をしたことはなし。実際に、落ちていたフタを届けられたとき、監視員はそれが何であるか把握できなかったという。それでも大切なものだろうということで責任者が呼ばれたが、監視員に「近寄らせないように」という指示だけで、プールの使用をただちに中止し、子どもたちを水からあげる安全対策はとりませんでした。その数分後に事故はおきています。

 現場の責任者の判断ミス、管理体制のずさんさ・・事故につながる要因はしっかり存在していました。この女の子が犠牲になったのは偶然の要素もありますが、でも、きっとどこかで大きな事故がおこりうる十分な必然性が、そこにはありました。

 市の管理がどうなっていたのか、やはり気になります。管理を民間に委託しているといっても、自分でしなければいけないことはやはりあるでしょう。きちんと管理されていたのか、それをチェックするのは市の責任です。フタの固定の件では、以前から事故が繰り返しおきているわけですし、文部科学省から完全確保についての通達は何度も出されています。今まで、一度でも自分たちで施設のチェックをしたことがあるのでしょうか。委託先の会社が、きちんと業務を行っていることをチェックしたことがあるのでしょうか。書類の上だけではなく、現場を見に行けば、一目で分かることです。お粗末な事故の顛末からは、一度も自分たちでチェックしたことがないと、容易に推測できます。お役人なんて、こんなものなのでしょうか。

 あるいは、国はどうなのでしょう。ときどき「しっかりしろ」というような通達を出してはいますが、それだけで子どもたちの安全が確保されるなどという考えをお持ちなのでしょうか。そうだとしたら、ずいぶんとおめでたい話です。実際に、通達が出されていても、それが完全に履行されないどころか、無視されているから、事故が繰り返しおきているわけです。そのことを認識していれば、同じ通達を流すだけではことが足りないわけで、いかに実効性のある行政指導をするか、真剣に考えてほしい。その具体的な保証がなければ、「自分たちは通達を出しているのだから責任はない」と言い逃れをするだけにために、通達を出し続けているというように、うがった見方をしてしまいます。

 霞が関にいて、机の前から動き出したくないお役人の方に代わって、「実効性のある通達」を考えてみました。それはきちんと報告を求めることです。それも具体的な。各自治体にある民間も含めて全てのプールについて、その排水口(吸水口)のフタが固定されているかどうか、写真付きで報告させます。もしも未対策であったり、フタの腐食などによって安全が損なわれていると考えられる場合には、ただちに改善させます。

 その全てを報告されるということと、抜き打ちで全国のプールを訪れます(そのために民間の業者をやとっても良いでしょう)。もしそこで問題があった場合には、その市町村名とプール名などをただちに公表します。一定の罰則を設けられればもっといいです。

 さあ、こんな方法をとることで、通達の実効性があがります。本当に実施してほしいと思っているのであれば、それくらいの工夫や努力はすべきです。

 こういった事故がおきるたびに、もう二度と繰り返さないようにと思うわけですが、それがお題目だけで終わってしまってはいけません。その中から得られる教訓をもとに、具体的にどうすればいいか、それをハッキリさせる必要があります。同じ事故はもう起こさせないと思う強固な意志も、また必要です。そして何より、自分たちの社会をもっと良くしていくためには、必要な改革はいとわないとし、それを受け入れるという柔軟さが、もっとも必要なのかもしれません(逆に言えば、それがなく、硬直した社会であることが、致命的な欠陥だと思います)。

投稿者 tsukada : 2006年08月02日 22:48