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2006年06月30日

6月の末日・・外は大雨

 今日で6月が終わり。ということは今年ももう半分が過ぎようとしていることになります(正確には1年365日の181日が過ぎたのであって、半分の182.5日まではまだ1.5日ありますが)。

 毎年のことではありますが、めまぐるしく過ごしていた半年でした。今日のニュースにも「少子化」の傾向がいっそう強くなっているというのに、何故か小児科医として忙しくしています。それも年々ひどくなっているような。人間的な機能としてはもう最盛期を過ぎていますし、これから先、少しずつ枯れていくわけですが、なかなかそうはさせてもらえないようです。

 先日、このHPの「ゲストブック」に、「いつまでも・・杖をついてでも小児科医として仕事をしていってほしい」といった書き込みがありました。私への叱咤激励ではありますが、嬉しい限りです。でも・・小児科ってけっこう体力がいるんですよね。一つひとつの動きは力仕事ではありませんが、全体としてはずいぶんとハードは仕事です。

 体力もそうですが、それ以上に気力が必要なのかもしれません。時には風邪などで体調を崩している時もありますが(それでも休診にしたことがないのが自慢←医者からすればバカな行動です)、そんな時にはいつものペースでは診療できませんし、途中で休みを入れないと続きません。

 以前、私に漢方の処方を教えて下さった恩師の小児科医が、糖尿病を患ったあとしみじみと「気力が続かなくなった」とつぶやいていました。食事にも気をつけ、治療も効果をあげていて、お元気そうに見えたのですが。それからしばらくしてリタイアされました。

 ふと、あとどれくらい小児科医として仕事ができるのかな、などと考えることもあります。だんだんと体力も知力も判断力も落ちるでしょうから、「老害」にならないうちに、ステージから降りた方がいいとも思っています。それまであと10年? 20年?

 とりあえず“男の更年期”はうまくやり過ごせているようですから、もう少し元気さを維持していければいいな、などと思っています。子どもたちもみんな大きくなってきて親元から離れていったけれど、それでもまだスネかじりもいますので・・。

★「こども通信」7月号をHP内にアップしてあります。小児救急のコーナーでは「夏場のトラブル」を取り上げました。よろしかったらどうぞお読みになって下さい。

投稿者 tsukada : 21:41

2006年06月29日

年長児の麻疹風疹ワクチン(Q&A)

 昨日の「院長ブログ」の続きです。麻疹・風疹混合ワクチンの接種がいよいよ“年長さん”にも始まるよと書きました。今日はすでにいただいたいくつかの質問にお答えします。

●もうすでにワクチン接種はすませているのに、もう一度受けなくてはいけないのですか?

 素朴な疑問ですね。昨日も書きましたが、以前の「日本の常識」では麻疹も風疹も1回で一生かからなく程度の免疫ができるとされていましたが、それは半分は正しく、半分は間違い。純粋にワクチンだけでは一生の免疫にはなりません。以前は日本ではまだまだ感染症の流行が多かったので、途中で「自然のブースター」がかかっていたため、ワクチンは1回でも十分なケースが多かっただけ。現在はあまり流行することがなくなってきたので、やはりもう一度ワクチン接種を受けておいたほうが良いということになりました。せっかく制度ができたので、やはりぜひ受けて下さい。

 ちなみに、私は近くの看護大学で非常勤講師をしていますが、学生さんたちは病棟実習に入る前に抗体検査を受けてもらっています。そうするとけっこうの割で、免疫のない学生さんたちがいます。聞いてみると、小さな時に受けている人たちが大半。その人たちは1回のワクチン接種だけでは十分ではなかったということになります。こうした学生さんは、自腹でワクチン接種を受けてもらっています。

●2回目の接種を受ける前に抗体検査をしておいたほうがいいですか?

 その必要はありません。抗体検査をせずに、全てのお子さんが2回目の接種を受けることになっています。もちろん検査を希望される方は受けていただいてかまわないのですが(保険が使えませんので、費用は全額自費です)、仮に抗体があっても追加の接種を受けて何ら問題はありません。

 もし抗体検査を受けて、免疫がなければ当然2回目の接種は受けてもらっています。また、免疫はあるけれども、その値が低い場合(疑陽性、または弱陽性)には2回目のワクチン接種がブースターとなり、その後にはとても強い免疫になっていくと期待されます。

 ということで、わざわざお金を出し、子どもに痛い思いをしてまで事前に検査を受けてもらう必要はないということです。

 なお、医学的には、たとえばワクチン接種の前後で検査をして、免疫が十分にできたかどうかを知るということも大切だとは思いますが、それを全ての子どもたち(1年間で生まれる子どもは100万人強)に検査を行うことは無理なことです。

 もう一つ付け加えると、この抗体検査が多少ファジーな面があります。いくつもの検査方法があり、それぞれの意味するところが少しずつ違っているために、場合によっては異なった結果になることがあります。免疫について詳しい医師がきちんと行う必要があるのですが、残念ながら不適切な検査方法で解釈している場合も散見されます。そんな意味でも、抗体検査には重きをおいて考えないで下さい。

●海外に行くときには2回の接種が意味ありますか?

 アメリカなどの諸外国では、感染症が国内に持ち込まれることに神経質になっているところが多くあります。たとえばアメリカに留学するときには、事前に必要なワクチンを全て受けていないと留学の許可がおりません。麻疹であれば少なくとも2回の接種が必要です(州によっては3回のところもあります)。日本で乳幼児期に行っている予防接種を全て受けてあってもまだ足りないので、留学が決まった段階で急いで追加のワクチン接種を行うことがときどきあります。

 今回のように麻疹・風疹がともに2回接種を受けることで、「国際標準」に近くなってきたといえます。いずれ海外に行くときなどの時も、手続き上もとても役に立つことです。

●無料ですか?

 そうです。法律に基づいて市町村が行う予防接種なので、乳幼児期のいろいろなワクチンと同じ扱いです。

●麻疹にかかってしまったのですが、それでも受けるのですか?

 麻疹と風疹の混合ワクチンとしてご案内をしていますが、今回の改定で、麻疹や風疹の単独のワクチンも使えるようになりました。もし麻疹にかかってしまったのであれば、麻疹ワクチンは必要ありませんので、風疹単独のワクチンを受けて下さい。その逆に風疹にかかったのであれば、麻疹単独のワクチンを使います。

 なお、麻疹や風疹の診断は、経験の豊かな小児科医が臨床診断をしているか、抗体検査などで確実に罹患していることが分かっている時に限定して扱ってほしいと思っています。いずれも発疹(ほっしん)のでる感染症ですが、類似の感染症などもあり、見慣れた小児科医でないと間違って診断している場合もあるようです。

 もし、「怪しい」「疑い」程度のあやふやな診断であれば、できれば混合ワクチンで受けてしまって下さい。先にも述べたように、仮にそれが本物の感染症で、十分な免疫ができていても、そこにワクチン接種を受けて何ら問題はありません。

●副作用がさらに強くなるのでは?

 そんなことはありません。これも誤解されやすいことです。

(1)1回目のワクチンで抗体が全くできていない場合:2回目は初めてのワクチン接種と同じ程度に副作用がおきる可能性があります。
(2)1回目のワクチンでそうとう十分な抗体ができている場合:2回目のワクチンは、接種した直後にその抗体により中和され、体内で繁殖することもなく、当然、副作用がおきることもありません(麻疹・風疹ワクチンは、生のワクチンです)。
(3)1回目のワクチンで免疫ができているが、弱い場合:2回目はブースター効果になりますが、この場合にも体内での生ワクチンの繁殖は限定的であり、副作用がおきるほどには至りません。

 以上のことをまとめると、副作用は皆無であるか、またはあるとしても1回目の同程度だということです。けっして2回目だからよけいに副作用が起きやすいということはありません。

●いつまでに受けるのですか?

 2期の接種は。小学校就学前1年間と規定されています。今の園の年長さんは今年度いっぱい、つまり来年3月末日までが期限です。

 それまでであればいつでも良いということですが、冬場はインフルエンザの流行などもありますので、秋口くらいまでに受けるようにされてはいかがでしょう。

●まだ案内がありませんが、市町村によってやり方が違うのですか?

 厚生労働省は6月2日付けの文書で、全国で行うように通知をしています。すべての自治体がその方向で動いていますが、開始の時期が多少違っているようです。新潟県では一律に7月1日開始として足並みをそろえました。他のところも、そろそろだと思います。具体的なことは、お住まいになっている市町村からの連絡を待つか、直接担当の係にお問い合わせになってみて下さい。

投稿者 tsukada : 22:45

2006年06月28日

年長さんも麻疹・風疹混合ワクチンを

 予防接種の方法がまた変わりました。今年4月から麻疹と風疹が混合ワクチンになり、さらに1歳で1期、小学校入学前1年間(保育園・幼稚園の“年長さん”にあたります)で2期と、2回接種することになっていました。しかし、当初はこの2期の接種は、1期で混合ワクチンを受けた子どもだけが対象だとする“しばり”があったため、実質上は当面は2期接種は行われていませんでした。

 しかし、それに対しての批判がとても強く、国は当初の方針を撤回しました。「但し書き」の中にあった制限を廃止し、以前、麻疹や風疹を単独ワクチンで受けた子どもに対しても、2期の混合ワクチンを接種できるようにしました。6月2日付けで各都道府県に通知が出され、現在全国に市町村や区でその対応を進めています。

 当地(新潟県上越市)では7月1日から実施するとする旨の文書が、今日市役所から届きました。さっそく院内の掲示、各種パンフレットを訂正しましたし、このHP内の該当箇所も訂正をすませました。他の自治体も、ほとんど同様の動きをしていると思います。

 以前は麻疹も風疹も1回のワクチン接種で十分とされ、日本ではずっとその方法をとっていました。しかし、ワクチンの効果は100%ではありません(98%以上の効果があるとされていますが、逆に言えば100人中1〜2人は最初から免疫がついていないことになります。これを「一次的なワクチン不全」と呼びます)。

 また、ワクチンによって得られる免疫の程度はその感染症に罹患して作られる免疫よりも弱く、一生の免疫ではないことも分かっています。麻疹や風疹の流行があると、その際に病気にはならないけれど免疫の程度が罹患したのと同じくらい強くなる現象(ブースター効果)もあります。しかし、最近はこれらの感染症の流行があまりおきなくなり、自然のブースター効果が期待できなくなっています。ワクチンによりいったんできた免疫が弱くなり、その感染症にかかるおそれがあるケースも増えています(「二次的なワクチン不全」と呼びます)。

 せっかくワクチンを受けたのにあとでかかってしまうという事態を防ぐために、もう一度同じワクチンを接種し、弱くなりかけた免疫を増強する必要があります。この2回目のワクチンによってできる免疫増強の現象もブースター効果と呼ばれています。

 話はやっかいになってきましたが、要するに1回だけではまだ足りず、もう一度受けたほうが良いということなのです。欧米ではそうとう前から「2回法」が普通です。それによって徹底して麻疹などの感染症を社会からなくしてしまおうという戦略をとってきました。日本では年間数万人の麻疹患者が発生しているというのに(昨年は数千人に減ってきたそうですが)、アメリカでは年間の患者発生は数十人にすんでいます。そしてその半数ほどは日本をはじめとしたアジアの諸国から持ち込まれたウイルスだということも分かっています。

 そんなことが背景にあって、日本も「2回法」を採用したはずなのに、何故か「但し書き」が作られ、実際の実施が先延ばしされてしまったという経過は先にお話しした通りです。さすが日本の役所です。仏を作って魂入れず。形は整えるけれど、一日も早く、そして一人でも多くの子どもたちを助けよう、などという気持ちは感じられません。それよりも、何か事故があったら大変、マスコミや「反ワクチン勢力」にたたかれないようにするにはどうすればいいか・・そんなことが頭をかすめていたのではないか、などとヘンな想像をしてしまいます。

 日本中のほとんどの小児科医があきれかえり、批判したことで、厚生労働省も動きました。実施から2か月ほどでの改定ですので、お役人的にはずいぶん早い対応だったのでしょう。その点は良しをしたいと思います。

 これから年長さんへの麻疹・風疹混合ワクチンの接種が始まります。該当するお子さんのもとへは個々に通知も行くことでしょう。お子さんの体調の良いときに、かかりつけの小児科の先生から予防接種をしてもらって下さい。

 なお、今の年長さんが麻疹・風疹混合ワクチンを受けられるのは今年度いっぱいです。つまり来年3月末日まで。まだ9か月ほどもあると思っていて、いつもまにか忘れてしまった、などということにならないように。それに、秋からはインフルエンザ予防接種(任意接種ですが、受けていただくよう小児科医としてお勧めしています)もありますし、冬場は風邪などにかかりやすいなど、体調をくずしてしまうこともありがちです。秋くらいまでの間に接種をすませておくといいでしょう。

投稿者 tsukada : 21:32

2006年06月27日

誘拐事件

 昨日おきた“美容外科医令嬢誘拐事件”は、先日この「院長ブログ」で紹介した書籍『世田谷一家殺人事件』を想像させる内容でした。犯人は比較的早く捕まり、娘さんも無事保護され、何よりの解決でした。でも、一歩間違えばとんでもないことになっていたかもしれません。

 先日この書籍を紹介したときには、“種明かし”になるような気もして、その犯人像についてははっきりと書きませんでしたが、もう書いても大丈夫でしょう。筆者が突き止めたのは、アジアからの留学生を中心とした犯罪ネットワークがあり、その中で“純粋な”金儲けのために犯行が行われているということです。

 今回逮捕された三人は日本人の他に韓国人と中国人がいます。すでにパチンコ店への強盗事件もおこして逮捕状が出されている者もいて、単発的な事件でないことは確かです。そして、もしかしたら他に計画した中心的人物(先の書籍ではグループのリーダーとされていた人物)がいたのかもしれません。その指令のもと、地下のネットワークの中から実行人物が選ばれていったのかもしれません。

 そうだとすれば、これはそうとう危険な犯罪でした。なぜなら、彼らは金儲けが目的ではありますが、そのためにはどんなことでもしてくるからです。そして、犯行の“過激さ”や“残忍さ”が、ネットワークの中で「評価」され、リーダーや実行犯の「格」が決められていくからです。

 今回の事件でも、実際に拳銃が使われ、人質の救出に向かった警官に向かって発砲されています(軽症だったということですが)。もし救出に失敗してしまっていたら、人質に銃口を向けることも平気で行われていたかもしれません。(救出に向かった警察が、隣のビルに間違って突入するという初歩的なポカをしているくらいですから、完全に安全な救出作戦であったか、疑問が残ります。)

 今回の事件は、計画的に行われたものである一方、簡単に所在が分かってしまうなど、実行方法は稚拙だとする報道があります。確かにそのようです。でも、だからといって、今回の事件が容易に解決できたものだとするのは、そちらの方が稚拙な考えです。用意周到に準備されたものではないからこそ、犯人たちが何をしてくるか分からないのです。自分の身がかわいいなどとは思っていない連中です。いざとなれば、人質に危害を加えることも平気でしょうし、街中での銃撃戦もあったかもしれません。とにかく凶悪な犯罪者だったということだけは、十分に認識しておくべきです。

 幸いにも怪我などもなく無事助けだすことができたことは何よりのことです。しかし、日本でもこのような“外国人を中心とした過激な犯罪組織”が根を下ろしていることに、重大な関心を向けてほしいです。日本は安心・安全な国では、もうないのです。

 そして今回の誘拐事件でクローズアップされたのは、セレブな親子の生活でした。他人がどんな仕事をして、どのような生活をしているかは、あまり関心がありませんし、さほど知りたいとは思いません。しかし、これほど自分たちの生活ぶりをマスコミに露出することが、どれほど危険なことであるか。「悪意をもつ者」は必ずいます。そして犯罪組織もしっかりと獲物をねらっています。自分たちの身は、まずは自分たちで守るということは、危機管理の基本。公表しなくても良いセキュリティー上重要なことにも無頓着に、そして無邪気に不特定多数に教えちゃってはいけないのです。

 彼女たちは今回は完全な被害者ですし、批判するのはかわいそうです。でも、やはり狙われやすい状態だったという意味で、反省すべきことは大いにありました(それは今自分たちが一番感じていることで、私がとやかく言うことではないでしょうが)。犯罪をおこそうと獲物をねらっている者や組織があるということを実感していたならば、無防備に近い状態にはしていなかったことでしょう。犯罪を誘発するという意味でも、一定の守るべきルールや基準はあるように思います。

投稿者 tsukada : 23:08

2006年06月26日

NHKを見ましたか?

 今夜のNHK総合テレビに、私の住む新潟県上越市高田がしっかりと映っていました。「鶴瓶の家族に乾杯」がその番組です。視聴者からのお便りをもとに、鶴瓶師匠らが実際にそこを訪問し、人々と触れあうという企画です。もちろん全国放送です。

 私はまだ医院で仕事をしていたのですが、「映っているよ!」という知らせでテレビをつけました。途中からでしたが、我が家の近くや、実家の近くの風景が画面いっぱいに出ていました。インタビューに応じている人たちの飾らない純朴な様子も、古い町並みも、「なかなか我が町も良いところだな〜」って思わせるものがありました。

 もちろん錯覚もあるでしょうね。テレビに映し出されると、それだけで立派に見えたりしているのかもしれません。大雪に閉ざされる話にしても、現実の生活くささのない思い出話であれば、それもまた良しと思えるものです。

 静岡県の旧清水市(現在は静岡市)出身の落語家の方も一緒に来られていました。旧高田市は長い間、この旧清水市と交流を持っていました。中学生同士を訪問させ、気候や風土の違いを体験させるという企画です。高田へは雪降る冬に、清水へはみかん収穫の秋にそれぞれ訪れます。私が子どもの頃にはすでにあった行事ですし、私の子どもたちもおじゃまさせてもらいました(もちろん我が家にも清水からお客さんをお招きしました)。そんな話が披露され、全国的には初めて耳にする方が大半でしょうが、私には“思い出話”になりました。

 このテレビの企画にはまだ後半があるようです。清水出身の落語家が、清水・高田交歓で知り合った女性(あこがれの女性?)に再会するとか、しないとか。個人的にはどちらでも良いのですが、我が町=高田が舞台となると、ちょっと気になります。来週の月曜(7月3日)午後8時からのこの番組で、どうぞご覧下さい。←珍しく今日はNHKの宣伝をしてしまいました(^_-)

投稿者 tsukada : 22:33

2006年06月25日

何のための警報?

  九州など西日本では大雨に被害ができているようですが、当地新潟は終日曇り空。それほど暑くもなく、過ごしやすい一日でした。

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 先日近くの公園を散歩していた時に撮った写真です。ただの分電盤のようですから、何が気になったか、気になりますね。ポイントは上についている黄色い回転灯です。写真ではわかりにくいですが、何かのトラブルがあったようで、黄色い灯りを回転させているのです。

 近くには小さな建物がありますが、休みの日で管理する人などは不在。公園の管理人室があるのかも知りません。市役所の担当課も休日であればお休み。はて、この回転灯を見た私はどうすればいいのでしょう?

 そもそもこの回転灯が何のためについているのか、分かりません。電気関係のトラブルがあったということは示しているようですが、それを誰に、どのように知らせたいと意図しているのでしょう。重要なものであれば、管理人室や市役所の警備室に連動し、直ちに復旧するような体制が必要ですが、そうはなっていません。見回りの時に担当者が分かればいいのだとすれば、大きな回転灯にしておく必要はなく、分電盤の一部にランプが点滅するようになっているだけで十分でしょう。

 くだんの分電盤は、その頭上で堂々と回転灯が回っています。優に100メートル以上離れたところからも見えます。それだけの警報装置を設置しているのは、できるだけ早く見つけてほしいという意図があるからでしょうか。そうだとしたら、この分電盤に緊急の連絡先を明記しておくべきでしょうね。

 私のように、気になる人もいるものです。“おせっかいおじさん”の存在を信じてもらえれば、無料のモニターリング・システムができるはずなのに。

 以前も、同じ公園内で、「赤い回転灯」がぐるぐると回っていたことがありました。このときはお堀のポンプの水位異常のようでした。この時もどうしていいのか(どうしてほしいのか)分からず、そのままにしておいたことがあります。今回と違って赤い灯りだったので、緊急性あるいは重要性の高い警報だったのでしょう。それをそのままにしてしまったことで、大丈夫だったか、気になっていたものです。もしかして重大な故障や事故につながり、もっと早く対処できていれば良かったのに・・などとならなかったか、と。必要のない罪悪感を抱いてしまったものでした。

 一般の人にも分かる形でこういった警報装置が設置されている場合には、緊急時の対処法や連絡先を書いておいてくれるといいのに。珍しいのかもしれないけれど、「見て見ぬふりをする」ということが嫌いな人も、たまにはいることを知っておいて下さい。

投稿者 tsukada : 22:56

2006年06月24日

空梅雨

 新潟はまだ梅雨の真っ直中・・のはずなのですが、雨はほとんど降っていません。昨年は大雨による被害もあったというのに、今年は空梅雨になっています。

 自宅の庭の水撒きも、梅雨時だからとおもってさぼっていたら、葉を落としている木もありました。今日はたっぷりとお水をあげましたが、悪いことをしちゃったな、と少し反省。雨が降りすぎるのも困りますが、全然降らないのも困りますね。

 こんな調子でいくと、夏に渇水騒動にならないか、心配になりました。十数年前に水不足を経験して以来になるかも。あのときは家の中で水使用にも気を使い、外の水撒きは地下水(冬の消雪パイプから水を汲み上げ)を使って、節水に苦労したことがありました。今年がそんな年にならないといいのですが。

 今週はもうサッカーが終わってしまいました。ワールドカップはまだ続いていますし、これからいよいよ決勝に向かっての戦いが進んでいきますが、でも日本が出ない試合ばかりですから、興奮しながら見ることはもうないでしょう。外の天気のように、気持ちも枯れているサッカー観戦になりそうです。

 6月も下旬。あと1週間ほどで今年も半分が終わろうとしています。忙しいのは嫌いではありませんが、でも時々は立ち止まってじっくり周りを見回したり、考えたりする時間も必要です。今年の前半がそんな機会があまり持てませんでした。これから多少忙しさが緩和される季節。次の冬が来て、まためちゃくちゃ忙しくなる時に後悔しないためにも、これからしばらくは“充電”しておきたいな、と思っています。・・庭の木のように、水涸れで葉を落とすことがないようにしなくっちゃ。

投稿者 tsukada : 23:25

2006年06月23日

立ちはだかる山

 重い気持ちの一日になってしまいました。朝早く起きて、サッカーを観戦してしまったのが、そもそもの始まり。日本対ブラジル戦。前半で日本が先制ゴールを決めたところでは眠い目も吹っ飛び、頑張って起きた甲斐があった!などと思った者でした。でも前半の最後、ロスタイムでの失点で同点になり、意気消沈。どうもブラジル選手を本気にさせてしまったようで、後半はほとんどワンサイド・ゲーム。まるでブラジルのシュート練習に付き合わされているかのようでした。

 終わってみれば、大量得点をとられての敗北。そして日本の一次リーグ突破への夢は泡となって消えてしまいました。試合後に中田選手が言っていましたが、これが日本の実力。そこから始めていかなければいけないのですよね。過剰な期待を持っていたことの方が問題だったのかもしれません。次をめざして、またがんばって下さい。

 気持ちを重くしているものがもう一つあります。奈良で起きた高校生による一家3人の放火殺人事件です。昨日の「院長ブログ」にも書きましたが、この事件の背景や犯行の動機を考えると、胸に鉛を打ち込まれたかのような苦しさを感じます。

 お父さんは医師。離婚後にこの長男を連れて再婚。長男にとっては義母になる方も、また医師。本人も医師を目指して、受験指導で有名な中高一貫校に入学し、勉強をしていたとのこと。現役の医師が二人と、将来の医者の卵が一人いる家庭でおきた、とても悲惨な出来事です。職業に限っての家族環境は、私のところとも似ていますので、いったい何があったのか、本当に知りたい気持ちになります。

 長男は勉強のことで父親からずいぶんきつくしかられたりしていたとか。長男が同じ職業につくことへの父の期待が大きかったとも報じられています。長男は、それに応えたい気持ちと、でもなかなかうまくいかないこと(勉強の成績があがらない、あるいは医師になることへの疑問もあったのかも)ことから来るマイナスの気持ちとの間で、揺れ動いていたことでしょう。思春期のまっだなか、自分の人生を親であっても他人に決めてもらうなんてイヤだという、当然の気持ちも持ち合わせていたでしょう。それがだんだんと父親を拒否する気持ちになっていたのかもしれません。

 でも、なぜ父親を殺さず、義母と幼い弟・妹を犠牲者に選んだのか。本当は直接に父を抹殺してしまいたい思いがあったのかもしれません。でも、それをするにはあまりに大きな存在だったのでしょう。自分の将来像としてあこがれるのではなく、あるいは理想像として心の中であたためるのではなく、逆に自分の目の前に立ちはだかり、絶対に超えられない大きな山のように見えていたのかも。それは否定したいけれど、そう思えば思うほど自分の存在を脅かしてしまう。自分とは何? 何のために生きているの? 何をしたいの? そんな答えにならない疑問が膿のようにわき出てきていたのでは。

 父を直接に殺そうとしたこともあったと報道では言っていました。でも父に気づかれ、断念。父に正直に話してもとりあってくれないと思ったのか、実際にやってみたけど無駄だったのかは分かりませんが、結果としては父親との直接対決は回避。その代わりに選んだのが、「父にとって最愛の人と物を破壊する」という行為でした。

 自分とは血のつながりのない義母は、父にとって最愛の人。父の愛情は、けっして自分には向けられていない。その人と、その人の子どもを父から奪い取ってしまい、自分たちの住む家を消し去ってしまうことによって、父へのかなわぬ思いが満たされると考えたのではないでしょうか。

 自分にとっては絶対者である父の存在を否定したいけれど、それができないところに、長男の心の核心部分があるように思います。単なる恨みではありません。自分を心から愛し、自分の存在を最高に肯定してくれる存在であることを、父の中に求めたのだけれど、かなわなかったことが、彼の人格に大きな偏りを作ったのではないかと思うのです。

 自分とは何かを問い続ける思春期にあって、それはどうでも良いこと、そんなことより勉強しろ、成績をあげろ、親の言うことを聞いていればいい・・などと働きかけてくる大人たちは、百害あって一利なし。子どもたちの心を踏みにじり、健全なアイデンティティーの確立はできてこないでしょう。

 それに反発し、自分なりの道を進める子どもたちは、苦労しながらも自分らしさを作っていきます。強く生きていくことができます。心豊かになってくれます。しかし、周囲の圧力に負け、ときには作られた環境の中に居心地の良さを見つけてしまった子どもたちは、形の上では“成功”していくのでしょうが、本当の魂は育っていかないことがあります。

 今回の長男の心の軌跡がどんなものであったか、ぜひ知りたいところです。その中から、彼の苦悩がどこからきているのか、重大な事件を起こしてしまった心の歪みが何によって作られていったのか、真摯に考えてみたいと思っています。

 この問題・・考えれば考えるほど、心が重くなっていきます。

投稿者 tsukada : 20:53

2006年06月22日

少年の心の闇

 少年が関わる重大事件がまた起きてしまいました。母と幼い子ども二人が亡くなった奈良県での放火殺人事件です。行方が分からなかった高校1年の長男が今朝見つかり、放火したことを自供。そして逮捕されました。

 父親は医師であり、私とほぼ同じ年齢。当日は病院で当直勤務中とのことで、難を免れていました。でも、最愛の妻と子どもたちを失い、長男が殺人と放火容疑で逮捕されたことは、きっと地獄のような苦しみを二重にも三重にも味わっていることでしょう。私と同業者であるということも関係あるかもしれませんが、私自身も重苦しい気持ちでニュースを聞いていました。

 この家族にいったいどんな事情があったのか。年齢的なことから言っても、母親はこの長男の実の母ではなかったようです。そんな家庭環境の中で、何かが狂っていったということなのでしょう。彼がその動機を語る中で、その理由も分かってくるかもしれません。

 それにしても大きな事件になってしまいました。そんな事件を引き起こしてしまった長男の心の様子を、できれば知りたいと思います。自我の確立のために揺れ動く思春期の子どもたちを、私たち大人や社会はどんなふうに見つめ、接していけばいいのか。それを考える糸口が見えてくるかもしれません。

 先日来、重大犯罪を起こしやすい人格の偏りについて考えています。反社会性人格障害という範疇に入るのかどうかは分かりませんが、この長男も何かの問題を持っていたのでしょう。それに早く気づき、修正していくことができなかったという問題が浮かび上がってくるはずです。心の闇の部分に、光をあてていく作業をていねいに行っていってほしいと思います。

  *  *  *

 サッカーWカップは、一次リーグの突破をかけていよいよブラジルとの対戦です。明日の朝4時のキックオフというのは、時間的にはちょっときついですね。日本の試合をぜひ見たいという気持ちと、結果を想像すると見ていたくない気持ちが半々です。それに加えて時間のこともあり、どうしようか迷っています。とりあえずはビデオをセットし、いつもより早めに起きてみようかな、などとも。それにしても、長い一日になりそうです。

投稿者 tsukada : 22:29

2006年06月21日

日本のアンダーグラウンド

 昨日に続いて、今日も一冊の本を読み終えました。『世田谷一家殺人事件−侵入者たちの告白』。その内容に、鳥肌だつほどの恐怖を覚えています。

 この本は今日発売になったばかり。今日の朝刊の広告欄に大きく掲載されています。曰く「ついに犯人をつ突き止めた!」「決定的証拠をもとに、実行犯を特定した驚愕のスクープ!」。昨日の「院長ブログ」に、反社会性人格障害のことを書いたばかりで、犯罪をおかす犯人の心理状態についてもっと知りたいと思っていた矢先のこと。なんというタイミングでしょう。

 「世田谷一家殺人事件」は20世紀の最後の一瞬、2000年12月30〜31日に起きました。何者かによって一家4人が惨殺された事件です。犯人がまだ逮捕されないどころか、有力情報に懸賞金をつけるほどなのですから、犯人の特定すらできていないと思われているあの殺人事件の、犯人を突き止めたというのです。これは大変なこと。すぐにでも読まなくては!と思ったのが、今朝のこと。

 お昼にさっそく書店に行ったけれど、まだ店頭にはならんでいませんでした。他の店にもいったけれど、同じ。新潟は発売日が遅くなるのか?(週刊誌などでは1、2日遅いのが普通です) そう思いながらも、店員さんにたずねたら、奥からこの本を持ってきてくれました。発売ほやほやの新刊ですが、どうもまだあたためていたようです。こんなのんびりしたところは新潟らしいのかもしれません。

 早速読み始めたのですが、その内容には身震いがでるほど驚かされました。内容を書くと、これから読もうとする人たちに失礼ですので、詳述はしませんが、この本に書かれていることは十分に真実と考えて良いようです。大規模な捜査態勢をひいていた警察にすらできなかった犯人の特定を、一人のジャーナリストがやってしまったのですから、それ自体も驚きです(もっとも著者は、大きな組織だからこそできないものもあるのだと、繰り返し書いています)。

 これまでも、過去の事件を推理し、事件を描いたり、犯人像にせまったりするような書籍は多く出されています。でもその多くは謎解きで終わっているようです。犯人はこんな人だと考えると、いくつかの不明な情報が整理され、解決するだろう、といった内容です。でも、必ずしも事実に基づいた論理展開ではなく、推論に推論を重ねたようなものもあり、フィクション(虚構)と呼んだ方がいいようなものが、多いような気がしています。

 一方では、取材も構成もしっかりしていて、ノンフィクションとして十分に検討に耐えうるものもあります。その一つは、松本清張が精力的に取材し、とくに戦中・戦後の日本の闇の世界を描き出した労作「昭和史発掘」です。単なる謎解きだけではなく、そこに時代背景を織り込み、その事件の背景をするどく見つめる中で、昭和という時代を問い直す作業をしていたようです(私は若い頃は松本清張の大ファンでしたし、この「昭和史発掘」は全巻読みあさりました)。

 今日読んだ『世田谷一家殺人事件』は、著者が直接・間接に見聞きしたことをもとに、丁寧に事実関係を積み重ね、「犯人像」のみならず「犯人」そのものにまで行き着くことができたと言う点で、当代一のノンフィクションになっているのではないかと思います。そして、日本で起きている犯罪が、これまでとは違った者どもによって、全く違った動機の中で引き起こされ、結果として日本で暮らす私たちの普通の生活を根底から不安に陥れようとしている・・これまで漠然とした指摘が、現実にはもっと深刻なレベルとスピードで進行し、日本をむしばんでいることを教えてくれています。

 表面に見える社会は一見穏やかでも、ほんの少し足下をのぞき込むと、そこは真っ黒い闇が広がり、犯罪者たちが獲物をねらいながらうごめいている。日本にもアンダーグラウンドという暗黒の世界が厳然と存在していることは、紛れもない事実です。ただ、私たちがそれを知らなかっただけであり、捜査当局が手をこまねいていただけのことだったのです。私たちは率直にその存在を認め、早急に対策を講じていかないと、新たな悲劇が次々に起きていることになりかねません。そんな意味では、この書籍が発する警告をどれほど深刻に受け止めることができるか、そして日本の社会を変えることができるか・・それが今に生きる私たちに問われています。

 ところで、この本では登場人物はほぼ仮名ですが、犯人やそれにつながる者たちはそのスジでは容易に特定されそうです。彼らが別の意味で闇に葬られることはないのでしょうか。警察機構に対する批判が随所にありますが、著者に情報提供してくれた警察官なども何らかのトラブルに巻き込まれないでしょうか。何よりも、著者自身が命をねらわれることはないでしょうか。問題の核心にせまる内容だけに、そんなことまで心配になってしまいました。

※『世田谷一家殺人事件−侵入者たちの告白』 齊藤 寅(しん)著、草思社刊、1,400円+税

投稿者 tsukada : 22:21

2006年06月20日

子育てについて考えています

 一冊の本を読み終えたところです。『平気で他人(ひと)の心を踏みにじる人々』というタイトルで、副題に「反社会性人格障害とは何か」と書かれています。

 この「反社会性人格障害(パーソナリティー障害)」の代表例として、先日逮捕されたホリエモンこと堀江貴文容疑者が最初に取り上げられています。その分析を読みながら、堀江容疑者の内面が少しずつ明らかになり、「反社会性人格障害」についても理解できるように書かれています。そして、日本で起きた最近の重大事件についても言及されていますが、反社会性人格障害がとてもつもなく重大な問題であることが、漠然と分かってきました。

 「人格障害(パーソナリティー障害)」について、最近関心をもっています。先日この「院長ブログ」でも、境界性人格障害(ボーダーライン・パーソナリティー障害)に触れたこともありました。人格障害の中の分類も、その一つひとつの定義などもまだよく理解できてはいないのですが、でも、欧米で大きな社会問題となっているこれらの「人格障害」が、日本でもこれから急速に注目を浴びてくるのではないかと思っています。

 それは多少根拠があります。各種の人格障害は、元々の偏った性格に起因する部分もあるようですが、それぞれの個人のパーソナリティーやアイデンティティーの形成途中での歪みや不適切さが重要な要因になっているようです。幼少期から両親の適切な愛情を受けずに育ち、思春期に自己をきちんと確立できてこないことが、その後の人格障害をおこしているということです。そして日本という社会が、子育ての環境においても、思春期の育ちにおいても、必ずしも良好だとはいえない状況にあります。いや、もしかしたら欧米以上にこういった問題を大きくしてしまうような“劣悪”な状態なのかもしれません。

 男尊女卑や家父長的な体質は、日本の悪しき“伝統”だと思っていますが、こういった封建的な遺産がまだ色濃く残っています。家や集団を優先させ、個人を大切にする考えは、まだ未熟です。結果として、子育ての中で必ずしも父母の適切な愛情が受けられず、自分を信じることができない人格が育ってしまうことになります。思春期の自己の確立も中途半端になってしまいます。

 こういった「内面の豊かな発達」がなく大人になっていく日本人は、欧米の人たち以上に、パーソナリティーの危機を迎える可能性があるのでは・・。そんなふうに思うと、まだ日本ではあまり取り上げられていない「人格障害」について、もっと知る必要があるように思います。そして、陥りやすい問題を少しでも解決するために、できることから始めていく必要があります。

 小児科医としてお話をするとしたら、やはり幼少期の子育てを大切にしてほしいと切に願います。父母のあふれるような愛があって、初めて子どもは豊かに育っていきます。そのための苦労を惜しまないでほしい。「あなたの子どもを犯罪者にしないために」などというショッキングな言い方をしている本もありますが、本当にそう思います。

※『平気で他人(ひと)の心を踏みにじる人々』:矢幡 洋著、春秋社、2006年5月刊、2,100円

投稿者 tsukada : 23:35

2006年06月19日

明かりのともらない街灯

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 昨日散歩中に気になって撮った写真です。ここは上越市・高田城跡公園の中にある歩道(実は我が家の前)。毎日多くの方が散歩をしたり、学校の行き帰りに使ったりしています。

 桜が多く植えられていて、お花見の時には最高の散歩コース。松などの木々も多く、暑い夏でも木陰が人々を守ってくれます。日中はいいのですが、問題は夜。街灯などもなく、真っ暗な夜道に変貌し、散歩もままならなくなります。

 写真に見えるのは、新しく設置された街灯です。確か昨年11月ころから工事が始まり、道のところどころを明るく照らし出してくれて、これで夜道も安心・・となるはずでした。でも、工事から半年も経つのに、まだ明かりがともりません。歩道脇に作られたただのモニュメントになっています。こういうのを「でくの坊」とでも呼ぶのでしょうね。

 工事が始まるときには近くに大きな看板が立ちました。そこには、確か年度をまたいで工事をするのだと書いてあり、ヘンだな、と思ったものです。ここは豪雪地帯。とくに昨年末は記録的な大雪で、12月には公園全体がすっぽり雪に埋まりました。工事の様子を見ていましたが、設置地点の雪かきをしてから作業にかかっていて、「どうしてこんな時に工事を始めるの?」といぶかしく思っていました。案の定、設置はしたものの、春までは雪に埋もれないようにすっぽりと覆いをかけられていました。

 春になり、雪もとけ、覆いがはずされました。さあ、いよいよ工事再開か、と思っていましたが、その後の動きはなし。4月上旬、ここは“日本三大夜桜”の舞台になりましたが、夜桜見物に訪れる方々の足下を照らすでもなく、ただただ静かにたたずんでいました。

 それからもう2か月以上たちますが、まだひっそりとしたままです。二つの年度のまたがった工事・・続きは、今年度の最後ということなのでしょうか? いやいや、正確には覚えていませんが、工事を知らせる看板には、そこまで長い期間だとは書いていませんでしたし、すでの工事が終わったかのように、その看板も撤去されています。

 モノはできているのだから、あとは電気を通すだけなのに、と思って良く見たら、そうでもないようです。配管工事もまだ終わっていません。写真で分かりますが、地面の右の方から黒いホース状のものが立ち上がっています。これが街灯につながる配管のようですが、それが街灯のどこにつながるのか、よ〜く見るのですが、分かりません。

 街灯の下はコンクリートで固められているので、配管をつなげるためにはもう一度コンクリートの下を通さなくてはいけません。壊さない限りできない工事のように思いますが、どうなんでしょう。簡単に地中にもぐりこませられるのでしょうか? そうだとしたら、最初からそうしておくでしょう(冬の間の大雪で、ホースの一部は壊れているようにも見えます)。それとも、街灯の地上部分のどこかに途中にくっつけるの??

 どう見ても私には“欠陥工事”にしか見えませんが、本当のところはどうなんでしょう。きちんと配管工事までできていれば、そこに配線を通し、電灯をつけるのは簡単にできるはず。近くには大きな配電盤も設置されています。もっともその中はメーターもなく、空っぽのままですが。

 何か特別な事情があるのでしょうか? お役所のすることはよく分かりません。そう言っていても始まらないんで、今度ちゃんと聞いてみましょう。市の税金でやっている仕事なのですから。

投稿者 tsukada : 23:07

お疲れさま

 昨夜のサッカー騒ぎから一日たちました。今朝の新聞は大きな紙面を使って報じていましたが、勝利もあるだろうと特別編集だったのでしょう。でも、からぶりでした。試合といっしょに「残念!」

 ここ数日は梅雨の合間の好天になり、暑いと感じる日差しです。昨日は日中、外の仕事もしていましたが、けっこう汗もかきましたし、消耗しました。ふだん外にはあまり出ない私にとっては、けっこう酷な環境。

 ドイツはもっと暑かったのかもしれません。TVの画面からも、汗だくになっている選手の様子が見えていました。あの暑さの中で45分×2=90分を走り続けるのですから、半端な運動量ではありません。体力的にもそうとうきつかったでしょうね。そう考えると、引き分けの試合でしたが、強豪のクロアチアに点を取らせず、負けなかったというだけでもスゴイことです。

 でも・・やっぱり勝ってほしかった。次の試合はブラジル。23日午前4時からの試合では、TV観戦もちょっと遠慮しておこうかなって気持ちになってます。とりあえず、お疲れさまでした。

投稿者 tsukada : 22:51

2006年06月18日

残念でした

 サッカーWカップ、対クロアチア戦は点が入らないまま引き分けました。オーストラリア戦で負けているので、今日こそはと思って最後まで見ていましたが、残念な結果でした。

 1次リーグを突破するためには、残るブラジルとの試合に勝たなくてはいけないのだとか。あんまりサッカーのことも詳しくはありませんが、ブラジルが優勝候補だということは知っています。そのブラジルに勝つことができれば・・日本は優勝するってこと!?

 次の試合では、奇跡がおきることを願っています。

投稿者 tsukada : 23:55

2006年06月17日

明日は父の日

 新潟も先日梅雨入りしましたが、この週末は良いお天気になっています。西日本では大雨による被害もでていましたが、今日はどうでしょう? 明日の「父の日」は、穏やかなお天気の中で迎えられるといいですね。

 「父の日」といっても、私はもうほとんど忘れています。子どもたちがみんな大きくなっているので、実感もなくなりました。明日は普通の日曜日をすごしていることでしょう。

 今日もわたぼうし病児保育室に来ている子どもさんから、すてきな絵のプレゼントをいただきました。先日もご紹介した“みきちゃん”です。今回のタイトルは「じろいせんせいのびょういん」。

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 またまた嬉しくなっちゃいました。ありがとう、みきちゃん! ちょっと「父の日」の気分ももらうことができたようですよ。

投稿者 tsukada : 23:58

2006年06月16日

市議会

 今日、上越市議会の一般質問で「病児・病後児保育」のことがとりあげられました。上越市ではこれまで市の施策として「病後児保育」を2か所で行っていますが、当院で行っている「病児保育」については市は関わっていません。子どもは急に病気になるものですし、親御さんが大変なのは急な対応ができないことが主な利用です。そんな意味合いで、急性期のお子さんをお預かりする「病児保育」こそ、市民のニーズがあります。

 それはそれぞれの施設の利用者数が物語っています。当院の「病児保育」1か所の利用者数が、市で行っている「病後児保育」の2か所を足し算し、さらに2倍すると同じくらいになります。(詳しい数字が市長答弁の中で紹介されていました。)

 これまでは、市としては「病後児保育」だけで十分であり、「病児保育」は必要とは言えない・・そんな立場をとってきました。当院のわたぼうし病児保育室が年間1千万円を超える赤字を出していても、市としては関知しないということでした。

 市は「次世代育成行動5か年計画」を持っています。そこには21年度までに「病児保育の実施を検討する」とされています。数年先の目標ですが、それでもまだ「検討」だけで終わるかもしれません。実施するという明確な目標ではないだけに、今後の方向を心配していました。

 市議会の一般質問で、真っ正面から「病児保育」を取り上げられたのは初めてです。当院の仕事がしっかりと根付き、市民の間にも浸透してきていることの証だと思っています。嬉しい限りです。わたぼうし病児保育室開設から今月はちょうど5周年になりますが、その積み重ねがちゃんと実ってきているようです。

 市長の答弁に注目していましたが、残念ながら歯切れのよいお答えはなかったようです。それでも、病児保育の必要性に言及し、市としてもできるだけ早く実現していくべきだ、といった意味合いの言葉があったようです。「検討します」「善処します」などといった“お役所言葉”からは、一歩踏み出した言い方をした・・と私は感じたのですが、それは期待しすぎでしょうか。

 いずれにせよ、市議会の総会という公の舞台で病児保育のことが取り上げられ、一定の市長の答弁があったことは事実です。これからは、その内容を煮詰め、施策を具体化していくことになります。担当の厚生委員会でも議論されることでしょう。しっかりとした内容の子育て支援策が作り上げられていくことを期待しています。

投稿者 tsukada : 23:37

2006年06月15日

梅雨入り

新潟を含む北陸地方も、今日梅雨入りをしました。当地では今朝から強風が吹き、荒れ模様。しばらくはうっとうしいお天気が続くことになりますね。

 九州や沖縄では大雨になっているとのこと。被害がこれ以上大きくならないことを祈っています。

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 昨日の「16周年記念パーティー」の記念写真です。みんなでこんな写真を撮るのも、珍しいです。レストランのオーナーが、パーティーの始まる前に撮ってくれました。お腹を空かしているわりには、みんないい顔していますね(^_-)

投稿者 tsukada : 19:56

2006年06月14日

開院16周年

 今日は塚田こども医院の開院記念日になります。1990年(平成2年)の今日、私の生まれ故郷である新潟県上越市で開業。それから16年がたちました。

 昔をさかのぼったり、遠い日々を懐かしがるようなことは好きではないので、感傷に浸るつもりはありません。ただ日々の患者さんの診療にもてる力を尽くしてきましたし、これからも同じく続けていくだけです。

 それでも16年の間にはいろいろなことがありました。当初は職員2名で始めましたが、患者さんが多くなるにつれて増員し、現在は正職員、パート職員あわせて20名を超える大世帯になりました。零細企業から始まって、ちょっとして中小会社ってところでしょうか。

 医院の建物も途中4度ほどの増改築や改装を行っています。主には患者さんの増加委に伴って手狭になったために、その時々で行ってきました。おかげで開設当初の面影はあまり残ってはいませんね。たえず進化する医院なんです(^^)

 組織も大きな変化が2つありました。一つは医薬分業をやめて院内処方にしたこと。世の中の流れとは逆に進んだのですが、患者さんには利便性が高まり、好評です。10年ほど前の出来事です。

 もう一つはわたぼうし病児保育室の併設。当院の子育て支援として、本格的に取り組んでいます。こちらは5周年になりました。今のところ、市などからの公的な補助がいただけていないので、“私財を投げ出している”状態ですが、でも利用して下さる方々の様子を見ていると、本当に役立っているのがよく分かります。利用者も年々増加し、今や日本で有数の規模になっています。こちらも、石にかじりついてでも続けていこうと思っています。

 今日は開院16周年をお祝いして、職員とゆっくり食事会をすることになっています。おいしい食事と飲み物で英気を養い、また明日から診療に励みたいと思っています。

投稿者 tsukada : 14:25

2006年06月13日

梅雨入り間近

 全国的には梅雨入りした地域が多くなってきています。新潟ももう少しで梅雨入りしそうなお天気です。今週末は雨のマークができていますから、もう少しで梅雨入りしてしまうのでしょうね。

 HP内のイラストを描いて下さっている“ちょこまい”さんから、今月もイラストをいただきました。このHPだけのために描いて下さっています。その新作をご紹介します。

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 今回もとてもかわいいですね(*^_^*) いつもありがとうございます。HPのトップのページにも使わせていただきます。

 昨日のサッカーWカップは最後になって逆転負けし、残念な結果でした。テレビの前で、ちょっと興奮していました。負けてしまいましたが、それはそれ。試合そのものは楽しませてくれましたし、世界の強豪を相手に日本もけっこうやれるんだな、とも思いました。これで気落ちせず、次の試合ではまたいいプレーを見せて下さい。

投稿者 tsukada : 21:40

2006年06月12日

いよいよワールドカップ

20060612

 今日、わたぼうし病児保育室を利用したみきちゃんからいただいた絵です。「じろせんせい いつもおせわになっています」と書いてあります。絵は私を描いたもののようです。メガネもちゃんとかけているし、足が短いのもそっくり(^_-) こんなすてきなプレゼントをもらうと、一日嬉しい気持ちで過ごせます。

 今日はサッカー・ワールドカップの日本・オーストラリア戦です。現地もそうですし、日本中が盛り上がってきているようですね。今夜は寝不足の人が続出することでしょう。がんばれ、ニッポン!!

 そういえばみきちゃんが描いてくれた絵を見ると、日本チームが着ているユニフォームに似ています。「青いサムライ」の一員にしてくれたようですね。私も応援、頑張ります!

投稿者 tsukada : 19:02

2006年06月11日

35万アクセス

 このHPへのアクセスが今日350,000件を超えました。1999年開設以来の総数になります。最近では1日400〜500ほどのアクセスがあるようです。

 ところで、この数字は正確にはトップのページへのアクセス数です。HPの途中のページに直接お越しいただいた方の数はカウントされていませんが、アクセスログの解析では1日あたり1〜2万人の方にご覧いただいているようです。この「院長ブログ」へは1〜2千のアクセスがあり、けっこう多くの方にお読みいただいていることを嬉しく思っています。

 一番多く見ていただいているのは「Q&A」の各ページです。グーグルやヤフーで子どもの病気の名前、症状、薬の名前などを検索すると私のHPが上位にあり、そこから来て下さる方が多いということのようです。毎日たくさんの方々に利用していただき、その点も嬉しく思うと同時に、私の仕事の励みになります。

 なかなか更新できないでそのままになっているページもありますが、これからもお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。

投稿者 tsukada : 22:20

2人で検査!?

 先日来お話している小学校での防火シャッター誤作動事故について、今日ももう少し考えてみたいと思います。

 検査員は教務室の制御板のスイッチを切ってから点検を始めたと話していたとのこと。それなのにどうして防火シャッターが動き出したのかが不明でした。今日の新聞では、この学校の火災報知器のシステムは、スイッチを切っても、3か所以上の感知器から火災を知らせる信号が入ると電源が強制的にオンになる仕組みなのだとか。検査員が一つずつ煙感知器などを点検していたけれど、復旧する前に次の感知器を動作させていると、同時に3か所から信号が送られていた可能性があるとのことでした。

 検知器が誤って作動することはときどきあります。煙感知器ではタバコで作動することもあるでしょう。熱感知器では直射日光が原因で作動することもあるようです。強い振動があたると作動することも考えらます。その時々で火災かどうかを確認するわけですが、こういった誤報が続くと「またか・・」といった気持ちになり、とりあえずスイッチを切って警報機の鳴動を止めるだけで終わってしまうこともあるかもしれません。もちろんそれはいけないことですが、人間はそれが「オオカミ少年」だと分かるとだんだんとまともに取り合わなくなるという習性をもっています。

 でも、本当の火災がおきているときに、本体のアラームを切って、それで終わりでは困るわけです。確認作業すらしなければ最悪です。そんな事態にならないように、「3か所以上で感知器が作動したら、人間の指示とは関係なく、火災として対処する」というシステムを作ったのでしょう。今回は、このシステムが徒(あだ)となりました。

 しかし、問題なのはそのシステムを知っていない検査員です。あるいは施設の管理者も、きっと知っていなかったことでしょう。危機管理に関わる重要なシステムの、基本的な情報が把握されていないで、どうして子どもたちの命を守ることができるのでしょう。はなはだ疑問と言わざるをえません。

 当院にも法律に基づいて火災報知器のシステムが設置されています。どこにどのような感知器が設置されているか、全体の構造がどうなっているかについては、設置の当初に十分に説明を受けていますし、何かあればすぐさま対処できるよう練習をつんでいます。年2回の定期点検は業者の人たちが4、5人で来られて、一日がかりで全ての項目をチェックしていきます。その様子も、私たちが一緒にいて確認しています。

 事故を起こした学校では、検査員は火災報知器の仕組みも十分に知らなかったわけで、いったい何をどう検査しようといていたのでしょうか。報道では、学校にやってきた検査員はたった2人だとか。それも一人は消化器の点検をしていたということで、火災報知器の点検はたった一人でやっていたとのこと。煙や熱の感知器が正常に作動するかどうかの点検だけをしていたようです。廊下や教室に置かれた感知器がちゃんと動くかどうかを調べるのは、一人でもできなくはないでしょう。でも、その感知器がとらえた異常を警報装置まで正しく伝えるかどうかの検査は、一人ではできません。最低2人の検査員が、制御板と感知器の両方を、トランシーバーを使いながら正常に作動していることを全ての検知器についてチェックする必要があります。

 今回の検査では、それは最初から行っていなかったのですから、明らかに消防法に違反する検査方法です。検査員もそれが分かっていたので、大元の電源を切った上で検査をしていたわけです。きっと書類上は「問題なく作動した」という報告を消防署に提出するつもりだったのでしょう。いい加減なものです。

 現在は事故の原因などのついて警察が調べているというとのことですが、そもそもの検査体制や方法が妥当であったのかどうかについても、消防署はきちんと調べてほしいと思います。そして、そこに重大な問題があったのであれば、厳正に対処すべきです。また、同様なことが世の中にまん延しているかもしれません。消防署も書類上のチェックだけではなく、現場で何がおきているのか、しっかりと把握して下さい。

 今回はたまたま防火シャッターが“誤作動”をおこし、児童が巻き込まれてしまったわけですが、この事故はたまたまの偶発的なものだと考えるのは間違いです。この小学校で、このお子さんが事故に遭ったのは悪い条件が重なったためですが、いつ、どこでおきてもおかしくないような要因はいくつもあります。防火シャッターの構造、安全装置、教育委員会や学校の対応、検査業者の質、消防署の監督・・。

 これだけの事故を起こしてしまったのですから、その原因をきちんと究明し、それを改善し、同じような事故が起きないよう十分な対策を、今すぐとってほしいものです。そして、昨日の繰り返しになりますが、そもそも防火シャッターの基本的なコンセプトが「建物を守る」だけのものでいいのかどうか、その原点にさかのぼって見直してほしいと、切に願います。

 人間は過ちを犯す存在です。だからこそ、間違い、失敗、事故、事件などからちゃんと学びとることが必要です。そのままにしていては、同じ過ちを繰り返してしまいます。そのことが、もっとも大きな過ちなのだと思います。

投稿者 tsukada : 21:18

2006年06月10日

そもそも防火シャッターとは

 防火シャッターが引き起こした事故について、昨日の「院長ブログ」に思うところを書きました。そして、書きながらぼんやり疑問に思うことがあり、今日一日考えていたのですが、そのことについて続けて書いていきたいと思います。

 そもそも防火シャッターとは何なのか、という疑問です。火災が起きたときに類焼や延焼を免れるため、建物の空間を完全に仕切る物・・そう考えていいと思います。そのためには、火災報知器などを連動して、自動で閉まる構造が必要ですし、昨日「緊急提案」したような、完全に閉まりきらない構造では、その目的を完全に達成できないことになります。

 そんなことは当たり前で、どこが疑問なのだと言われそうですね。問題はここからなのです。無人の建物で火災が起きたのであれば、早く火災を沈めたり、火災を小規模な範囲に閉じこめておくために、防火シャッターや防火扉が自動で、できるだけ早く閉まる仕組みは必要ですし、スプリンクラーなどの自動消火設備とともに活躍することでしょう。でも、無人ではないときに火災が起きたときには、そこにいる人たちの避難誘導はどうなるのでしょう。

 防火扉は、その一部に容易に出入りできるような“内扉”があります。そこを通れば逃げて行くこともできるでしょう(年齢の小さい子どもたちが、非常時に自分だけでそれができるかどうかは分かりませんが)。でも、防火シャッターは一度閉まれば、まず開けることはできません。

 先日の事故では降りてくる途中の防火シャッターに引っかかってしまったために起きた事故です。そうならないように安全装置をつけた新しいシャッターに、一日も早く交換しなさい、というのが昨日の「院長ブログ」でお話しした内容です。かりにこの新しい防火シャッターになっていたとしても、そして誤作動は起こさなくても、本物の火災時には短時間に閉まってしまいます。もしその時に、そこに子どもたちがいたらどうなるのでしょう。

 やはり先日の事件では、挟まった子どもを助け出そうとして教師たちが持ち上げようとしたけれどできず、保守点検をしていた業者の人がかけつけ、手動でシャッターをあげ、救出したということです。大人の力でも持ち上げることはできませんでした。完全にしまっていればなおのこと。そして、子どもが閉じこめられてしまえば、その子どもが開けることもできず、訓練されていない教師では助け出すことはまず不可能だということです。

 これは何を意味しているのでしょう。火災発生時に「防火」のために作動するのはあくまでも建物の防火であり、そこにいる子どもたちを守ったり助け出す物ではないということです。もし閉じこめられたとき、火災の起きている場所とは違うところであれば、あとで消防隊などによって助け出されることがあるかもしれません(挟まれなかったけれど、でも閉じこめられてしまった子どもたちはきっとパニックをおこしているでしょう)。しかし、もしも火災がそちらの方向であれば、最悪の事態も考えなくてはいけません。

 当院では先月、消防署の方からご指導いただいて避難訓練を行いました。そのときに、いかに逃げ遅れた子どもがいないかを確実に確認することが大切であるか、と教えられました。職員が避難誘導しながら、トイレも個室なども含めて、院内の全ての場所を一つひとつ点検し、声をかけ、目で見て残されている子どもがいないかどうかを確認しなくてはいけないと。そう考えると、火災時に自動的にしまってしまい、容易に開けることができない防火シャッターという物は、人の避難誘導にとって障害になるものだということになります。

 学校で万一に火災が発生した場合、教師が子どもたちを安全に避難誘導させなくてはいけません。全ての子どもたちが校舎に残ることなく、完全に避難できたことを確認したのちでなければ、この防火シャッターを完全に閉め切ってはいけないのではないでしょうか。昨日も提案したように、下から数十センチほどのところでいったん止まる構造になっていて、それ以上完全にしめるのは、避難が完了したと確認したあと、人の手によって行われなくてはいけません。

 防火シャッターは建物を火災から守るものです。直接的に人間を守るものではありません。それどころか、先日の事故のように子どもが挟まってしまう事故も頻発しています。そして何よりも問題なのは、避難路を遮断してしまうために、人的な被害を発生させうる装置でもあります。そもそもがそういった物なのだという認識は、おそらく誰にも、どこにもなかったのではないでしょうか。

 今回の防火シャッターによる事故の教訓として、ぜひ防火シャッターの危険性を回避する方法を考え出し、早急に実行してほしいと思っています。(私がこんなことを自分のブログに書いているだけでは、何も影響はないのでしょうね。誰かその筋の偉い人に“直訴”してくれませんか。ことは子どもの命がかかっています!!)

投稿者 tsukada : 21:04

2006年06月09日

殺人シャッター!?

 先日来「殺人エレベーター」が問題になっています。私のいる新潟県のある小学校でも、同じようなことがおきました。誤作動で動き出した防火シャッターにはさまれて児童が重症をおう事故です。火災警報装置の点検中に起きました。放課後の体育館で遊んでいたところ、急に防火シャッターが閉まり始め、あわててその下を通り抜けようとしたけれど、背負っていたランドセルがひっかかり、この児童は首を挟まれ、意識不明になったようです。幸い翌日には声を出すくらいまで意識が戻ってきたということですが、完全な回復を祈るのみです。

 点検に先立って、防火シャッターが動き出さないようにそのスイッチを切ってあったということですが、実際には動き出しています。火災の警報装置といい、防火シャッターといい、人や財産を守るためだけに作られ、設置されているもの。それがこのような事故をおこしてしまっていることは重大な意味があります。

 また、場所が小学校だということも問題です。そこは子どもたちが安心して過ごせる場所。それなのに、こんな事故がおきてしまうなんて、子どもたちが何を信頼し、信用すればいいのでしょう。事故の直接の原因はまだ詳しく分かっていませんが、これは天災ではなく人災です。あるいは、事故ではなく「事件」だといえるかもしれません。

 同様な事故は過去にもおきていて、やはり学校で子どもたちの命が奪われています。誤作動によって重いシャッターが降り始めることは論外ですが、本当の火災時に防火シャッターが正常に作動したときにも、このように子どもが挟まってしまう事故は起こりうることです。そのような時に、シャッターが凶器にならないように安全策を講じるのは、当然といえば当然のことです。

 昨年に建築基準法が改正され、新しく設置する場合や、大規模な改修をする場合には、安全装置のついた防火シャッターを設置するのが義務になりました。でも、以前から設置されているものに対しては、法的にはそのままでもかまわないとされました。法的にはそれでいいかもしれませんが、安全装置が付けられていない防火シャッターは危険だと認識されているわけですから、学校現場でそのままにしていてよいなどと考えることは“異常”なことです。予算が必要などという話がすぐでますが、それは言い訳にもなりません。

 文部科学省は昨年、学校現場での点検を指示する通達を出したのだそうです。くだんの学校のある教育委員会では、通常の法的検査(3年に1度)を受けているから問題なしとしたとのこと。勝手な解釈をするものです。法的な検査だけでは不十分だから、緊急に点検をせよという通達が出ているのにもかかわらずそれを無視するのですから、お役所が見ている先に子どもたちの姿はないようです。

 でもその「点検」で問題なしとなっても、子どもたちを守れるわけではありません。先ほどもふれたように、誤作動は起こさなくても、火災時には作動するわけですから、子どもたちの安全がまもられるためには、機械の交換しかありません。そのために必要なお金がいくらかかるか分かりませんが、日本の経済のことからいっても、そして何よりも子どもたちの命を守るためからも、けっして高いものではないはずです。

 もし、旧来の機種をそのままにしておかなくてはいないようなら・・防火シャッターの下部50センチほどのところに、それ以上降りないようなストッパーを付けることを提案したいと思います。横のレールのところに金属でも木でもいいですから打ち付けてしまえばそれで完了でしょう。素人の日曜大工でもできそうです。もっと簡易には、イスか机をシャッターの下に固定しておくだけでもいいかもしれません。

 この方法は、完全な防火にならないわけですから、きっと消防法違反でしょう。ですから短期間の緊急回避的処置です。可及的速やかに(なんとお役所的な言い方でしょう)新しい防火シャッターと交換することが条件です。法令に違反することを意識することで、予算執行も早くなることでしょう。

 日本中の学校で、子どもたちの命が危険にさらされていることを、現場の教師たちも実感してほしいです。「子どもたちを守るために、早くシャッターを交換しろ!」と教育委員会などとやりあう気概のある“熱血教師”はいないものでしょうか。

投稿者 tsukada : 20:31

2006年06月08日

事故の背景

 高校生がエレベーターに挟まれて亡くなるという事故がありました。自宅のあるマンションで、帰宅寸前の出来事。きっとあと数十秒で我が家の玄関にたどりつけるくらいのところだったでしょう。家族の元に帰ってきたのは、冷たくなった亡骸(なきがら)でした。痛ましい限りです。

 このエレベーターを作ったシンドラー社については、いろいろと問題がありそうです。海外では第2位のシェアを誇る大企業にもかかわらず、類似の事故がこれまでにも多数起きているようです。そして、危機管理がどうもできていないように感じられます。

 エレベーターは高速で上下運動をする乗り物。正確に動くことや、万一の時の安全策がしっかりとしていることは当然必要なこと。安全であることは、何にもまして重要な要素です。自分たちは製造会社であり、事故の原因は保守点検をしている業者が悪いというような言い方は、無責任につきます。たとえそうだとしても、点検作業の方法を的確に指示できない製造会社は、やはり問題だといわざるをえません。

 事故は大きなものだけが起きるわけではありません。大きな事故のまわりには、小さなトラブルがたくさん起きています。それらを丁寧に解決していくことが、大きな事故を防ぐことになります。これまで世界中で起きてきた事故やトラブルが、どれくらい点検され、エレベーターの安全性が向上され、保守の方法が改善されたのでしょうか。「自社の技術には絶対の自信がある」と言い放ってしまう会社の姿勢は、逆に不安を覚えます。

 完璧なものというのは、人間が作る限りありません。だからといって不完全なままで良いということではなく、不完全なものを少しでも完全なものに近づけていくという不断の努力が必要になります。そしてそこで重要なのは、事実を謙虚に受け止める姿勢です。事実として事故がおき、命が失わています。その事実から出発しなければ、より安全で完全なものはできてきません。

 自分たちの技術を誇りに思うことはけっこうです。でも、ただ「自信がある」とするだけでは、盲目的な宗教と同じになってしまいませんか? 「事故がおきるはずがない」と思ってしまうところに、重大事故に結びつく一番大きな要因が潜んでいるように思います。

 やはり、謙虚であれ。事実を丁寧に見つめよ。誰か、シンドラー社の人にそう伝えてあげて下さい。

投稿者 tsukada : 23:45

2006年06月07日

小学生以下

 今日は久しぶりに歯科を受診、自分が患者になりました。しばらく前から歯にしみるような違和感があり、最近は自然とそちらの歯を使わずに食べ物をかむようになっていました。気にはなっていたのですが、このところの忙しさから、“自分と向き合う”ことを避けていたようです。

 先に歯科衛生士の方が診て下さいましたが、その段階ですでに「しみませんか?」「いつからですか?」などの質問もあり、(こりゃ、そうとうやばい状態になってるな)と感じていました。レントゲン撮影、そしてドクターの診察では、虫歯が進んでいて、すでに神経を痛めているとのこと。おそらく神経を取り除くことも必要になりそうです。

 局所麻酔の注射は、私が処置の途中で痛みを訴えたために追加もあり、たっぷりと使ってもらったようです。処置が終わっても数時間は感覚が戻りませんでした。夕食はまだ感覚神経が麻痺していたので、食べづらいものがありました。

 でも一番ショッキングだったのは、歯茎の状態でした。固い歯ブラシで、力任せに歯磨きをしていたのが災いし、そうとう歯肉を痛めているというのです。食事の直後には必ず歯磨きをしていますが、時間は十分にはとっておらず、乱暴にしていたという指摘はあたっています。短時間ですませようとすると、余計力が入るし、力いっぱい歯磨きをすることで、「ちゃんと歯磨きをしたぞ」という自己満足(?)にも浸れます。でも、その結果は歯茎のトラブルでした。

 歯科衛生士の方に「これから丁寧に歯磨きをすれば、歯茎は元に戻りますか?」と恐る恐るお聞きしましたが、答えは「そうはなりません」とピシャリ。でも、これから気をつければ、これ以上は悪くはならないとのこと。まだ歯槽膿漏で悩んだり、総入れ歯にするのはイヤですから、これから心を入れ替えて、丁寧に、優しく歯磨きをすることにしましょう。

 今日は歯科衛生士さんからは「正しい歯ブラシの選び方と歯磨きの仕方」を教えていただきましたので、さっそく実践してみたところです。でも・・実はこれは以前にも言われていたことです。小学生を諭すように優しくお話していただいているのに、それが守れないなんて、小学生以下だと思われているかもしれませんね。もしかしてカルテには「要注意人物」などと書かれていたりして(-_-)

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではありませんが、いくら良いことを教えてもらっても、それが身に付かなければ意味がないですね。今度こそ三日坊主にならないように、心を入れ替えようと思っています。とりあえずは、しばらくは歯医者さん通いが続きます。

投稿者 tsukada : 22:14

2006年06月06日

ボーダーの時代

 このところ、日本中を騒がす大きな事件がたてつづけに起きています。それらの犯人や関係者のことをよくみていると、何らかの人格障害、あるいはパーソナリティー障害があるのでは、と思われるケースが少なくありません。

 昨日のこの「院長ブログ」にも書きましたが、秋田県の男児殺人事件の容疑者もそうでしょう。自分の娘も事件にも関係しているのかもしれないとも想像されますが、彼女の言動は、常識的な範囲を大きく逸脱しています。自己中心的な性格は、そうとう偏っていて、病的だと考えざるをえません。

 多くの作品を盗作していた画家もそうです。彼が“共同で仕事をしていた”とするスーギ氏の作品と比べ合わせれば、彼の作品が紛れもなく盗作であることは否定しようがありません。でも、彼はいまだに盗作ではなく、自分のオリジナルだと主張しているとのこと。嘘に嘘を重ねているというよりも、おそらく彼の頭に中では、自分は盗作をしていないと思っているのでしょうね。だから、恥ずかしげもなく、マスコミの前で大見得をはることができているのでしょう。これも、立派な人格障害ではないかと思えてきます。

 この事件では、彼の主張とスーギ氏の主張を一緒に聞かないといけない、などとする話もありました。文化庁もそう言っていたようですし、マスコミの一部にも、彼が提供したスーギ氏からの「手紙」などをもとに、あたかもスーギ氏にも問題があるかのような話も出ていました。彼の友人だという作家の森村誠一氏もそんな話をしていました。確かに「公平に」話を聞くこと自体は大切でしょう。でも、その前にすでに事実は明らかになっています。彼が描くより先に、同じ構図で、類似の絵が他の作家によって描かれていることだけでも、あとで描かれた絵にオリジナリティーがないのは明らかです。

 もし泥棒が捕まっても、自分はやっていない、と言えばすぐに逃がすでしょうか。物的証拠や証人によって、その犯行が裏付けられれば、それは単なる言い訳として扱われるだけです。盗作云々では、もう少しデリケートに対応すべきでしょうが、今回の事件は、恥ずかしいほどにデリケートさに欠けていました。素人目にも明らかなことです。

 そんな事実を示されても、それでもまだ自分の主張を変えようとしない・・もし変えてしまうと、自分の存在そのものが脅かされると思っているかのようです。いや、おそらく彼はそこまで思い詰めているのでしょう。だから、必死になって同じことを言い続けています。周囲からは何と言われようと、自分の考え方や見方しか存在しないのですから。

 嘘をつくなら大きな嘘をつけ。繰り返し嘘をつけば、いずれ周囲は、もしかしたら自分たちのほうが間違えているのかも?と思い始め、嘘があたまも真実のようになる・・そんな格言(?)もあるとか。ヒットラーもその戦術で国民を戦争に駆り立てていきました。このヒットラーも、境界性人格障害(ボーダー)だったということです。

 少し前に「騒音おばさん」が社会問題になりましたが、あの人も典型的な境界性人格障害の思考様式をしています。今、テレビに良く出てくる人たちの一部に、やはり同様にパーソナリティーの障害があると思える人たちがいます。常識から極端に離れた考え方をするので、ある意味で魅力的ですし、テレビ受けします。でも、こういった人たちの言動が当たり前だと思われてしまい、簡単に受け入れられるようになってしまうことで、その人たちの言動で傷ついた人たちが救われません。逆に、自分たちのほうが問題だったのかも、などと自らを責めてしまうことも、常識的な人であれば起こりえます。そうなってしまうと、二重に苦しめられることになります。

 話がだんだんと違う方向にずれてきましたが、今の社会の中で、健康な精神を持ち続けることがとても難しくなってきている・・昨今の事件や事象から、そんなふうに感じています。

投稿者 tsukada : 23:03

2006年06月05日

犯人の深層心理

 最近、子どもたちが犠牲になる事件が目につきます。それも悲惨な形のものが多く、気持ちが滅入ってしまいます。

 昨夜は秋田県で、2軒隣に住む男の子の殺害に関係して、死体遺棄の疑いで女性が逮捕されました。ニュースでは繰り返し取り上げられていたのでご承知でしょう。殺害そのものも実行していると見られています。その1か月ほど前には、自分の娘が亡くなっています。警察は当初「事故」との見方をしていましたが、そうではなく何者かによって殺された「事件」である可能性もあり、あわせて再捜査されているとのことです。

 もしかして、女児の「事件」にもこの女性・・つまり実の母親が関係しているのではないか、などという推測も生まれています。もしそうであれば、常人には理解不能の事件です。二人を殺して動機は何だったのでしょう。その背景にあるもの、そのような異常な行動をとらざるをえなかった心の闇に隠された深層は、いったいどんなものだったでしょう。

 これは仮定の話ですが、もしも彼女が自分の子どもを殺害し、河原に遺棄したとしたのなら、警察がこれを「事故」と処理してくれるのは彼女にとっては好都合なはず。犯人にとっては、それが犯罪として捜査されないということは、いわば「完全犯罪」になるのですから。でも彼女は「事故ではない、警察はおかしい・・」と触れ回っていました。彼女が犯人だったとしたら、自分に不利になることをするはずはないので、やはり彼女は自分の娘には手をかけていないのだろう・・そう考えるのは、また自然なことでしょう。

 しかしその反対に、やはり彼女が犯人だったという推測も成り立ちます。それは、娘の死が「事故」ではなく「事件」によるものだとすることで、自分の存在を社会の中にアピールすることができ、その結果として自分自身で確認できるようになるからです。何者かによって殺された可哀想な娘の、たった一人の可哀想な母親であり続けることが、彼女には必要であったのだと思います。社会から、「悲劇のヒロイン」「警察にも冷たくされながら真実を探し求める母親」「娘の死を悲しむ可哀想な親」と見てもらうことが、どうしても必要だったのではないか。

 昔の逸話に「ほら吹き男爵」がいます。いつも荒唐無稽な大嘘をつきまくっている男の話です。そこから発展し、その男の語る物語が悲劇であり、世間から同情されたいと願って、繰り返し大きな嘘をついたり、自分を傷つけたりする行動をとるのを、「ミュンヒ・ハウゼン症候群」と言います。精神異常の一つです。自分のアイデンティティー(自己)が確立しておらず、歪んでいて未熟な自己を確認する方法の一つとして、こういった異常な思考や行動をとるのでしょう。

 ミュンヒ・ハウゼン症候群は、傷つける対象が自分に向かっていますが、それが他の人を対象にするものを「代理ミュンヒ・ハウゼン症候群」となります。自分の子どもをわざと病気にさせたり、怪我を負わせておいて、その子を献身的に看病することで、自分の自己を確認する方法です。自分でも「良い親をしている」と思うことができるでしょうし、他人からも「子どものことにすごく熱心に、自分を犠牲にしてまで尽くしている理想的な親」と見てくれることで、間接的に自分の存在を価値あるものとして確認できます。もちろんそのために犠牲になる子どもは可哀想ですが、「自己を確認する」ためには、子どもは単なる道具でしかなく、子どもに対する罪悪感もないでしょうし、自分が病気や怪我の原因を作ったことすら、意識の中には残っていないのではないかと思います。

 話は元に戻りますが、秋田で逮捕された女性は、この「代理ミュンヒ・ハウゼン症候群」と同じ思考回路なのではないか、と思えてきます。つまり、良い母親を演じ続けるためには、子どもの死は「事件」でなくてはならないのです。そして、警察や社会が「事件」であると考えてもらうためには、「第2の事件」が必要だったのです。同じ団地の中で、同じような状況で殺される犠牲者が必要だった。それが、今回の逮捕容疑である死体遺棄事件(そしておろらく殺人事件)の被害者だった・・。

 そう推測すると、彼女の動機を理解することができるようになります。これはあくまでも推測でしかありません。今後の捜査を待たなければ全ては解明されませんので、予断をもってはいけないでしょうし、軽々に推論を公表すべきではないかもしれません。

 でも、昨日の朝の取り調べから始まって、ずっともやもやとしていたものが、彼女の深層心理を推測することで、やっと晴れてきたような気もします。そして、人格やパーソナリティー、あるいはアイデンティティーの形成がきちんと行われていないことが、これからの社会の大きな問題になっていくのだろうな、と実感したしだいです。「こころ」のありようが、ますます難しくなってきた社会なのだ、とも感じています。

投稿者 tsukada : 21:56

2006年06月04日

お当番日

 今夜は県の小児救急電話相談の当番にあたっていました。子どもの急病などで心配なことを電話で相談を受けるという事業です(土曜、日曜などの夜7〜10時)。新潟県では看護師さんが電話を受け、相談にあたります。その中で対応できないことがあれば、小児科医へ問い合わせるというシステムにしているので、親御さんからの電話を私が直接受けるというものではありません。それでも休日の夜、じっと電話番をしていました(テレビは見ていましたが)。

 以前に一度行ったことがあります。その時は数件の電話が看護師さんからありました。さて今日は・・ゼロでした。終了後に連絡をいただき、今日の電話相談について報告がありましたが、途中には私の出番はなし。何もないということはいいことに違いありませんが、でもせっかく数時間待機していたのに、ちょっと寂しい気持ちもしますね。(開始から数か月の事業報告を見たのですが、この間で医師への問い合わせは7件だったとのこと。その半数以上は私でした!)

 新潟県の電話相談は利用数が少ないようです。今日も3件だけとか。昨年12月より始めている事業ですが、利用は1日に5件くらいだということです。全県で1か所なのに、そんなくらいしか利用されないとなると、新潟県では必要性があまりない、などと思ってしまいそうです。

 当院は独自に電話相談行っていますが(今年2月スタート)、当初予想していたよりも多くの利用があります。ここ2ヶ月間は月に150件ほどの電話が寄せられています。1日あたり平均5件ほど。この数字だけからでは、たった1軒の小児科医医院の事業と、新潟県全体の事業とが同じ程度の利用ということになります。

 当院の電話相談は診療時間以外の全てをカバーしています。平日は夕方から翌朝まで。土曜は午後から始まり、日曜や祝日は24時間の対応です。県で行っているものよりも、はるかに親御さんの利便性は高いものと思っています。つまりそれだけ頼りになる事業だということです。

 県の事業が始まって半年ほどたちますが、いずれ事業内容の評価が行われることでしょう。その時に、利用数が少ないことを、簡単に「必要性が少ない」などと結論づけないで下さい。必要性は十分にあるのに、利用されにくいやり方をしているのかもしれません。その時にはぜひ当院の電話相談の内容を検討してもらいたいと思います。

投稿者 tsukada : 22:27

2006年06月03日

アンパンマンがやってきた!!

20060603-2

 今日は医院に併設しているわたぼうし病児保育室で、子どもたちへの“お楽しみ会”を行いました。第4回になった「なかよし広場」は、数を重ねるごとに参加して下さるご家族も増えてきています。保育士は子どもたちを盛り上げるのがとても上手ですね。それが“本職”ではありますが、感心します。いつもは病気でぐずる子どもたちを預かる大変な仕事をしていますが、今日は保育士のほうもいっしょに楽しむことができたようです。

 そして今日はビッグなゲストも登場! 紙芝居で「アンパンマン」を楽しんだあとに、本物の(!?)アンパンマンがやってきました。これにはみんなびっくり。そしてアンパンマンからおみやげをもらってニッコリ。

 保育室だけではもったいないと、診療途中の医院にもアンパンマンがやってきました。待合室の子どもたちは狂喜乱舞の状態(*^_^*) 子どもたちが落ち着くまでの間、しばし私は休ませてもらいました。子どもたちは本当にアンパンマンが大好きなんですね!

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20060603-1

 今日の新潟日報の紙面です。以前からお伝えしているように、当院のある上越市直江津地区では小児科が少なくなってしまい、とうとう当院だけになってしまいました。そんな“窮状”を、地元新聞の記者の方が取材に来られ、今日の記事になりました。

 「小児科不足が深刻化」という大きな見出しを見ると、ことの重大さを改めて認識させられます。当院にとって(もちろん私にとって)これからが正念場です。地域の方々の信頼にできる限りおこたえしていこうと思っています。どうぞよろしくお願いします。

投稿者 tsukada : 15:51

2006年06月02日

警察の出番では?

 駐車禁止の取り締まり方法が昨日から変わりました。少しでも自動車から離れたら即アウト!ってのも、ずいぶんと思い切ったことをしたものです。業者さんたちの混乱・困惑については、昨日の「院長ブログ」にも書いたとおりです。

 違法駐車をなくそうという点では有効な方法だと思うのですが、それと同時に都市部では民間委託にするっていうのが良く理解できません。これまで警察官でもトラブルが多かったのに、民間人で大丈夫か心配です。取り締まり方針が大きく変わる時に、それもよりトラブルが多くなると予想されるときに、どうして民間委託をするのか、よく理解できません。警察官のような権限や、実際のトラブル時に対応できるよう訓練を受けているわけでもありませんし、もちろん武装しているわけでもありません。

 権限(権力)をもった警察官のもとで、まずは取り締まりのルールをより厳格化し、それが順調に国民に受け入れらてから、実際の仕事を民間委託する・・そんな道筋にすべきではなかったのかと思います。そうすれば、現場でのトラブルは最小限に食い止められたでしょう。

 どうも今回の“騒動”を見ていると、警察がトラブルを抱えたくないから民間に任せて、自分たちは逃げていってしまったように見えてしまいます。むしろこういった混乱が予想される場面こそ、警察官の出番でしょう。なんだか、頼りない姿を見せてしまったように思えてきます。

投稿者 tsukada : 22:59

2006年06月01日

何のための取り締まり?

 今日から6月。当院にとっては開院と、併設しているわたぼうし病児保育室の開設の記念になる月です。そんな月なので、ちょっと昔のことも思い起こしながら、でも感傷的になるのではなく、この先を見通しながら進んでいきたいと思っています。

 今日から路上駐車の取り締まり方法が変わるという話が、ニュースをにぎわしています。これまでは一定の時間がたたないと駐車違反としての処理が行われませんでしたが、これからは運転手が自動車から離れたら、その場で駐車違反になるのだとか。運送業者など、仕事で自動車を使っている人たちにとっては大変な問題になっています。

 確かに違法駐車や迷惑駐車に困っている事実はあります。何とか対策をとらないといけないでしょうが、杓子定規に法の規定通りにするだけで解決するのか、疑問です。取り締まりを強化し、完璧に運用すれば、限りなく駐車違反はなくなるかもしれませんが、でも、それでいいのでしょうか。商売をしている人たちも商品の納入などに支障が出ることでしょう。取り締まりの厳しいところでは、営業ができないことになってしまうかもしれません。

 生活している人たちにとっても、けっこう大変な問題を抱えてきそうです。私の父は車イス生活をしていて、自動車の乗り降りの時には介助が必要ですが、運転手が運転席から離れられないとなれば、他の介助者が必要になります。リハビリやショートステーに通っていますが、その送迎バスの運行も、困難になるかもしれません。

 私自身のことを考えても、市街地での買い物で短時間“違法駐車”していることがありましたが、それも全くできない(しない)ことになれば、もう駐車場のない市街地では買い物できないことになります。郊外の大きなショッピングセンターに向かうことが多くなるでしょう。きっと他の方々も同じだと思います。そうなれば、ますます市街地の空洞化、そしてドーナッツ現象が進行してしまうかもしれません。

 今回の事態は「取り締まりの厳格化」に端を発していますが、日本の交通のあり方、車社会の中での都市の機能やそのあり方、あるいは私たちの生活のあり方そのものをどうしていくか、といった一番肝心なところを議論しないし、見通すこともしないという点に、一番大きな問題があるのだと思います。

 形さえ作ればそれでいいわけではありません。大切なのは中身です。取り締まりのための取り締まりではないはずです。駐車違反を完全に取り締まることができたけれど、そこはゴーストタウンになっていた・・そんな“近未来小説”に出てきそうなストーリーが現実にならないとは限りません。

 ぜひ、何のために駐車禁止を取り締まるのか、どんな社会にしたいのか、といった内容のある議論を積み重ねていってほしいと思います。

投稿者 tsukada : 23:21